本日付でヤフー株式会社から通算で17年勤務していたLINEヤフー株式会社(以降LY社)を退職した。
退職の理由とかタイミングの話は、すべてLY社の社内ネットワークにあるConfluenceというWikiシステムに書いておいたし、LY社に改善を望むことは退職者インタビューで伝えてあるため、ここでは会社員生活の振り返りとして歴代社長の感想を書いておくことにする。僕は2008年にヤフー株式会社に吸収合併されて入社した立場の社員であったため、文章のほとんどがヤフー時代の社長に関する感想となる。

僕がヤフーに入社した2008年は井上雅博氏が社長をやっていた。後の社長交代後はこの時期をさすレトロニムとして「井上体制」「井上ヤフー」と様々な呼ばれ方があるがここでは「井上ヤフー」で統一する。
どうもヤフー創業時からの伝統だったらしいのだが、当時に中途で入って驚いたところは、
こういう独特だったところは最初なかなか慣れなかった。
あと、井上さんは入社年次の早い社員からはとても慕われていて、逆に僕がヤフーに入った前後(2005-2010年頃)に新卒や中途で入った社員からは、冷たい印象を持たれたり「給与が渋い」といった意見をよく言われていた気がする。僕自身もどちらかというと後者の印象だったが、一方で僕らの会社が吸収合併される際は、わざわざ対面で出向いて説明に来ていた。だからビジネス上の「仁義」みたいなものを重視する人なのかなぁ、という印象もあった。
仕事で深く話したことも無かった僕から見た井上さんは、業績に関してはとんでもない結果を出し続けていたが遠い存在であった。好き嫌いの感情もほとんど持っておらず、フラットな気持ちだった。退任劇については書籍などでも色々と書かれているが本当のところはよく分からない。ただ身の引き方は今にして思うと本当にスパっと辞めたのが凄かった。井上さんだけでなく、当時の取締役といった人たちもセットで退任させて、後の宮坂ヤフーに対して一切の影響力を残さなかった。なかなかできることじゃない。
ヤフー創業時から一緒に仕事していた人から見ると、もっとすごいエピソードが出るのだと思うが、僕にとっての井上さんは 身の引き方がすごい が一番の感想であった。
2012年からは、現任の東京都副知事をしている宮坂学氏がヤフーの代表取締役社長・CEOに就いた。宮坂ヤフーを経験している社員の中には、未だに宮坂さんのことが大好きだという人が多い。もちろん僕もその一人である。
宮坂ヤフーの時代はもう すべてが変わった 。「えっ、会社ってこんなに変えちゃっていいの?」と心配になるくらい、制度も文化も何もかも変わった。ヤフー株式会社がLINEヤフー株式会社に経営統合されてから今日までの変化量を100とすると、井上ヤフーから宮坂ヤフーになった時の変化量は僕の主観で250くらいは違っている(もちろんLY社は今後さらに変わって行くだろうから、あくまで2025年10月までの変化量で比較している)。何より変化が早かった。そう、爆速である。
「爆速」なるキャッチーなキーワードは、大変わかり易かった。未だに経営者で「打席に立つ回数を増やすんだ」的な野球の例えを用いる人もよく見かけるが、ああいうのは野球経験者やプロ野球観戦する人でもないとピンと来ないのではないか。宮坂さんのメッセージは「俺たちのビジネスはPC大陸からスマートフォン大陸に向かいます! 現場に権限移譲します! じゃあ爆速で皆よろしく!」といった感じで、シンプルだ。当時はまだデプロイの計測をやってる現場は少なかったけど、明らかに本番デプロイの頻度は増えていて、速くなり過ぎた結果インシデント(事故)も増えたからちょっと揺り戻しも必要になるくらいだった。
当時の様子はINTERNET Watchに今でもちゃんと残っていて参照できる。インプレスグループのメディアって本当に素晴らしいよね。記事の見出しも簡潔かつ、よくまとまっている。宮坂さんたち経営陣がメディア露出するときに着用する爆速Tシャツは皆めちゃ欲しがってた。
もちろん、これだけの思い切った変化ができたのは、先に書いたとおり前任の井上さんが一切の影響力を残さず去ったことがとても大きい。宮坂ヤフー時代に、古株社員として威張り散らす人も極めて少なかった(完全に居なかった訳ではないが、ほとんど遭遇しなかった)。
また、宮坂さんだけが凄かった訳ではなく、配役が優れていた。登る山とビジョンを示していつもニコニコしているCEOの宮坂さん、時には失敗プロジェクトの総括会議や不振サービスのクローズといった嫌われ役もやるCOOの川邊さん、モバイル野郎としてハッカー向けイベントや面白い制度や情シス的な変更を皆に共有するCMO村上さんの三頭政治がいい感じに機能していたし、本間さんに人事部門のトップを任せて全社的に1on1って制度を浸透させたりと、執行役員レベルでも象徴的な配役をいくつもやっていた。
宮坂ヤフー時代には経営陣が地方拠点を回って社員と話す場を設けたり、コミュニケーションを活性化するためのイベントも増えた。中でも大きなイベントとして年イチで「社員大会」が開催されるようになった。東京で大きな会場を借り切って、1カ所に全国の地方拠点からもあらゆるヤフーの経営陣・従業員が集まるイベントだ。たしか宮坂ヤフーのときにCS(カスタマーサポート)子会社も吸収され同じ会社となったことで、いつも社内チャットではお世話になってるけど直に話したことの無かったCS部門の人と初めて対面で挨拶できたし、地方拠点(名古屋オフィス)勤務だった僕らにはシティホテルの宿泊部屋と新幹線の往復チケットも用意され、ちょっとした旅行気分だった。それなりに費用もかかるだろうし、今風に言うと社員のエンゲージメントを高めるための投資として考えた結果の決断ではないかと思われるんだけど、両国国技館を貸し切ってど真ん中に立った宮坂さんが満面の笑みで言ったことは「一度やってみたかったんだよね!」であった。社員大会には孫さんも当時の取締役会長として毎回やって来て、一緒に爆速うちわ片手に記念撮影したりしていた。
LY社にも受け継がれて残ってる制度として、祝日と土日が被ったら、消滅する祝日に代わってひとつ前の労働日が休日化される制度がある。消えゆく祝日の救済制度だ。普通に考えたら社員の稼働日が減るだけで、支払う給与総額は変わらないし会社にはあまりメリットが無い気がするのだが、「働く皆がハッピーなら大丈夫でしょ!」という感じで宮坂ヤフー時代にあっさり導入された。考え抜いた末に決めたことも、長ったらしい説明をしないところが宮坂さん流であった。なるべく社員の前では弱みをあまり見せないよう振る舞っていたように僕からは見えたが、当時のヤフー自社製チャットツールMYMには「社長室」というチャットルームがあって、株主総会の終わった直後だけは「今回も緊張したぁ~」と宮坂さんが本音で書き込んでいた。忙しさから滅多に書き込まれないが、社員からは「これもう日本で一番気軽に入れる社長室だろ」といった感じで親しまれていた。
宮坂さんが残して行った言葉から影響を受けた社員は僕も含め本当に多くて、とくに 「迷ったらワイルドな方を選べ」や「脱皮しない蛇は死ぬ」といった言葉は今もよく語り草にされている。僕は「利益はすべてを癒す」が一番印象に残っていて、これは宮坂さんが「卒業講演」で使った言葉だ。卒業講演というイベントも宮坂ヤフー時代に出来上がったもので、かつてのボスだった井上さんに「お願いします! 社長時代の裏話を皆の前で話してくださいよ!」と宮坂さんが連れてきて始まったイベントだ。ヤフーの社長を務めた人は最後に皆の前で明け透けに話すのである。「利益はすべてを癒す」は利益さえ出ていればワイルドなチャンレジもできる、みたいな文脈で使われていたと記憶していて、経営に関する言葉なんだけど、僕はちょうどこの頃から株式投資もするようになっていて「そっか、利益出ていると会社は大胆なチャレンジができるんだな~」と小学生並みの感想でとても印象に残った。自身の後任社長に川邊さんを指名して「社長が変わる度に就任時の年齢が若返る会社にしたいね! 今回は俺が社長になった時より1歳だけ若い川邊くんに託します!」「俺が使ってみたかった会社のイケてる制度? サバティカルだね!」と最後までニッコニコで話していた宮坂さん。「俺って起業を経験してないサラリーマン社長だからさ~」と謙遜しながら、とにかく会社に最大の破壊的変化をもたらした型破りな社長だった。
「私はインターネットが大好きだ!」を合言葉に川邊健太郎氏がヤフーの社長に就任した。43歳だ。すごい。43歳でこんな大企業の社長をやれと言われても普通できないだろう。が、僕は当時の川邊さんはあまり好きじゃなかった。何だか発言の端々が軽薄な印象があったのだ。
あと宮坂ヤフー時代、川邊さんはCOOとして次々と零細サービスをクローズさせ、強いサービスはより強いサービスになるよう人員リソースを集中させていたのも内心では少し反発していた。もともと井上ヤフー時代はインターネットポータルは百貨店、みたいな感じで流行ってなくてもいいから色々やってるのが大事、主力サービスがちゃんと稼げてればOKって方針で、細々やってるサービスはある意味で牧歌的であった。急に利益貢献をシビアに求められるのは違和感があった。ただ営利企業である以上は、いつか誰かがやらなきゃいけない判断だったような気もする。
そんな川邊さんがシン・川邊さんとして覚醒した時期があった。シン・川邊さんというのは社内通称としてあった訳ではなくて、何となく文章を打ち込みながら僕が今思い付いた勝手な呼び方である。コロナ禍として感染症が猛威を振るったのち、収束後もヤフーがフルリモートに振り切ると決断した頃だ。この時期はAll Hands Meeting(いわゆる全社朝礼)も1カ所に集まれず全員リモート参加でやらざるを得なかった。ビデオ会議ツールに投稿された社員からの多くの質問に時間を費やし、川邊さんは予定時間を超過して分刻みのスケジュールを心配している裏方の社員に対しても「いや、全員に回答するよ」と延長してでも話して伝える努力をしていた。フルリモート化というのは、全員が諸手を上げて賛成していた施策ではなかったのだ。そりゃそうだ。全員が全員、自宅で会社と同じパフォーマンスで働ける環境がある訳ではない。
他にも、シン・川邊さんエピソードとして印象に残っているのは、(詳細は書けないが)ソフトバンクグループの全体イベントみたいな場で、孫さんが老害と思える言動をした時に誰もが茫然と見ていたところを川邊さんが諫めたことだ。こういう言動できる人が自分たちの社長なんだ、と頼もしいし誇らしい気持ちになった。
LY社の会長となってからの川邊さんは、X(Twitter)でのインプレッションを集めることに熱中していて以前とはまたちょっと別の人になってしまった感じだ。スカッとする経営者一刀両断なことを投稿しているが、それLY社でもできてないじゃん、としか感じられない発言もあって、正直モヤモヤする。
僕にとっての川邊さんは 人は40代になっても変われる ことを体現して見せてくれた人だ。
川邊さんの後任として、インターネット業界では通称おざーんで著名な小澤隆生氏が社長になった。結果としてヤフーで最後の社長である。小澤さんは宮坂ヤフー時代にショッピングの事業責任者として引っ張って来られた人だ。僕はヤフーでeコマース関係の仕事を担当したことが無くて、小澤さんは「とにかく話が面白い人」くらいの認識しかなかった。実際、人前で話すと本当に面白くて、とくに楽天球団立ち上げなんかのエピソードは何回聞いても面白いので、もしインターネット上に動画があればぜひ見てみて欲しい。社長になるにあたってヤバい発言が多いとかの理由でX(Twitter)アカウントを削除して臨んだ小澤さんは、並々ならぬ決意で社長をやろうとしているのを感じた。
ただ、結局その後は広く知られている通り、LINEヤフーとして経営統合がされる運びとなり、小澤ヤフーに変化するための制度案なども示されていた(詳細は書かないが若手社員にはいい話が多そうだった)にも関わらず、結局これらは実施されなかった。
僕がいち社員として川邊さん・小澤さんに対して抱いていたギャップとしては、PayPayの立ち上げに関する認識の違いがあって、プロ野球方面のインターネットミームに「わしが育てた」というものがある。平たく言うとこれだ。とくに小澤さんはPayPayの立ち上げを成功体験として度々話していた。が、末端にいた社員からするとPayPayは「ソフトバンクのやり方でいつの間にか盤面をひっくり返して全部掻っ攫っていったコード決済サービス」であって、ヤフーで一丸となって作り上げたものではない。一部の社員はアプリエンジニアとしてヤフーからPayPayに出向していたから、そういう人の中にはオーナーシップを感じている人も居たかもしれないけど。
PayPay立ち上げ期のある日、僕が勤務先のヤフー名古屋オフィスに出社するとフロアの端にショッカーのように統制された集団が居てあれは何だろうと不思議に思っているとPayPay営業部隊として新規に採用された人たちだった。ローラー作戦で店舗を開拓すべく、全国の拠点で毎日こんな感じだったらしい。すごくソフトバンク流っぽい。僕らヤフー社員も、PayPayアプリから支払いできるとピンが立ってる店に実際行って使えたかレポートするといった程度の協力はしていたが、自分たちで作ったり育てた感覚は皆無だったから、とにかくギャップは感じた。ソフトバンクグループに特有の複雑な出資や株式交換のスキームもあって、未だにPayPayは誰がつくって成功に導いたサービスなのか何もわからない。逆に言うと訳わからんうちにPayPayができているのがソフトバンクグループの強さ・恐ろしさとも言える。
その後の小澤さんはLY社の顧問を辞して、ベンチャーキャピタルを始めたようだ。もともとYahoo!ショッピング責任者の傍らでYJキャピタルという名前のCVCをやっていて、社員に対しても「私はM&Aが大好きだ―っ」と繰り返し言ってたので、好きなことやりたくて行動した結果だろう。小澤さんがLY社を去るとき社内チャットにも「権力闘争に敗れた」とか「将来に見切りを付けた」と好き勝手に評する意見が投稿されたが、僕から見ると 本当に好きなことやるために決断して素早く動いた 人に映った。eコマース関連の仕事を一緒にしていた社員からは、もっと面白いエピソードがいくらでも出て来そうな、とてもユニークな人物である。
ZホールディングスのCo-CEOという、あまり聞かない共同CEOなる役割を川邊さんと2人でやっていた出澤剛氏が経営統合後LINEヤフーの社長となった。川邊さんが会長で出澤さんが社長だ。この時の経営統合スキームも複雑で、僕には何が何だかよくわかっていない。
出澤さんのことはよく知らないため、LY社における印象でしかないが、良く言えば冷静沈着で淡々としているし、悪く言えば自社のことを他人事みたいに話すなぁと思った。僕は昔からライブドア社のサービスをよく使っていて、もっと少人数に対してパッションを語る感じの人なのかなぁ、と想像していて、ちょっと思ってたのと違った。これは僕が勝手に期待して勝手に落胆しただけなので、感情としてはフラットだ。好きでも嫌いでもない。
余談になってしまうけど、井上ヤフー時代は社員に「お前らなるべく自社サービスを使えよ」といった方針があった。つまり検索なら「Yahoo!検索」を使い、競りなら「Yahoo!オークション」を使おうねということだ。今風に言うとドッグフーディングだろうか。宮坂ヤフー時代になると「他社のサービスもどんどん使ってみよう」になった。「My Yahoo!」よりも「livedoor Reader」、「Yahoo!ブックマーク」よりも「livedoor クリップ」を好んで使っていた僕も隠れキリシタンのように潜伏しなくて良くなった。うれしい。ただ自社サービスを優先的に使わせるのか、他社サービスも積極的に使ってみるのか、果たしてどっちの方針が理想かは難しいところだ。
とにかく出澤さんのことは詳しくないし手腕も知らないが、経営者としては結果を出す(業績・株価を上げる)ことしか求められていないと思っていて、ヤフー時代も含め僕は指定の証券口座を増やすのがどうしても面倒で最後まで使わなかった自社株制度で買っている社員が報われ、1株も持ってない僕が悔しくなるくらいの結果を出してくれると良い。2020年代に5大商社に勤めて自社株制度で買って積み立てている人なんかは株高のいま本当に報われているだろうし、羨ましい。
この日記では勤め先の社名は極力書かないようにしていて、今回のエントリで初めて明記した。以下のエントリはヤフー社員時代の話だ。別に現在のLY社に対して不利益を与える内容ではないと思われるからリンクしておく。
Yahoo! JAPAN Tech Blogにも僕の書いた記事が残っている(いつまで残るのかは全く知らない)。非実在社員ではない証明くらいにはなるかも知れないからリンクしておく。
最近のツッコミ
参号館
日記(ariyasacca)
お疲れ様でした!
退職エントリーというのは、どうしても醜いものになってしまう。恩のある会社にも、これからそこで働き続ける仲間達にも泥をかける行為だからだ。ただの通りすがりだし、あなたのブログを読むことも見返すことも今後ないだろうが、自分の文章を読み返して稚拙なことをしているという自覚を持ってほしいと願う。
感覚の詳細に踏み込んで書いてあって、自分にない切り口が多くてとても面白かったです〜
>お疲れ様でした! <br>はい!! <br> <br>>通りすがり <br>なるべく泥をかける行為にならないよう書いたつもりですが、そう受け止められたなら僕の文章量が不足していたのでしょう。 <br> <br>>NAN <br>ありがとうございます! 僕もセガサミーの元セガ社員視点で語るあれこれって切り口の話が読んでみたいです!
お疲れ様でした! <br>とてもわくわくするお話でした。 <br>今の会社で私は経営層に全く面白味も信頼も感じられなくて転職を考えているので、こんな人たちのもとで働いてみたいと思いました。
>ななし <br>わくわくできる環境に身を置くのは大事ですよね。焦らずじっくりご検討ください。迷ったらワイルドな方へ!
はてブから来ました!お世話になりました!
>hirose504 <br>はてブのユーザーアイコンに見覚えがあり過ぎる! こちらこそお世話になりました!
自分もはてブから来ました!度々お世話になりました!雷悶さんが最初のメンター(のうちの一人)だったのはほんとに僥倖でした
>yuskato <br>きっとお前はわしが育てた! (と言いたいがメンターだった人は他にもいる)
めっちゃ全文共感でした! <br>宮坂さんサイコー! <br>ウォーターサーバーありがとう! <br>迷ったらワイルドな方を選べ!
>同時期にYJを通過した者です <br>「第二の創業」って宣言する社長さん世の中に沢山いるけど人事制度いじる程度だろな~って思ってたら何もかも変わって貴重な経験でした。水の復活はすべてを癒す!
自分もはてブから来ました!雷悶さん、お世話になりました!今後ともよろしくお願いします!!!このインターネット感素晴らしい!
>週刊中年ジャンプ <br>コメントありがとうございます! 老眼に負けずワンピ完結まで読むぞ!!