有休を使って、朝から半田警察署に免許の更新に。平日だというのに混んでるなぁ。しかし、更新自体は、ものの10分もかからずに終わってしまった。ゴールド免許って、
良いことだらけだね。
こういう時に初取得の時の画像があれば楽しかったんだが、残念ながら当時は携帯電話にカメラなんて上等なものが付いていなかったんだよな。


お約束の交通安全協会の寄付は「払いません」で拒否。講習ビデオがもらえるなら、面白そうだから払うのだけど。変な冊子配るよりも、これ見よがしに衝突映像を配布した方が、運転者への啓発効果高いと思うんだけどなぁー。
断っても、係の人は特にお咎め無し。終始ニコニコと対応してくれたけど、この辺は地域によるのかな。
古いマシンに入れているUbuntuを7.04から、先日リリースされた7.10にアップグレードしてみた。
特にサーバ用途などには使用しておらず、純粋にデスクトップ環境としてウェブブラウザを使っているだけなので、まぁ失敗した時は1から入れ直せば良いしというノリで。

"7.10"にアップグレードできるそうなので、ボタンを押す。

英語分かんないし、どんどん進む。


全部で614MBのダウンロードとかどんだけー。

もっとトラブル続出するかと思ったけど、あっさりと完了した。途中で幾つかダイアログが出るけど、全部OKとしてしまった。古いパッケージなども消しちゃったけど、特に影響は無いみたい。
困った点といったら、この2点くらいかな。xorg.confとかもそのままの環境を引き継いでくれたので、アップグレードが終わって再起動したらそのまま使えた。
時間は、ADSLで150KB〜200KB/secくらいの速度で、ダウンロードとインストールあわせて2時間半くらいかな? たぶん。途中で出掛けたりプロ野球中継を観たりしていたので正確な時間とは言えないけれど、感覚的に。
テストサーバ環境としてVMなどに入れてる場合は、別に無理してアップグレードするほどのことも無さそう。
デスクトップ用途としても、どこが変わったのかは良く分からないけど・・・。起動とシャットダウンは早くなったかな? ああ、そうそう、シャットダウン等の機能を呼び出すアイコンが目に見えて変わったよ!
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セ・リーグのクライマックスシリーズ(CS)第2ステージ(5試合制)の巨人―中日第3戦は20日、東京ドームで行われ、リーグ2位の中日が4―2で3連勝し、2年連続8度目の日本シリーズ進出を決めた。リーグ優勝の巨人は1勝もできず、5年ぶりの日本シリーズ出場を逃した。
落合はずっと「ペナントの優勝チームが日本シリーズに出場するのが妥当」と主張していたのに、その落合が監督を務める中日に虚塵が3タコ食らって日本シリーズに行けないとは、なんという皮肉。
一応、セ・リーグの2007年優勝チームはこのまま虚塵ということになるらしいのだけど、その虚塵が日本シリーズに出ないというのが、もう分かり難くてしょうがない。ファンの意見を無視して強引に制度を変更するから、こんなややこしいことになるんだ。
虚塵の皆さん、リーグ優勝おめでとうございますwww ビールうめえwww

今日は実家の自分の部屋のCDを、棚から部屋の改装の為に一時待避していたものを再び収納した。
この棚を購入した当初は、「ここはドイツ出身のメタルバンドのCDの棚にするんだい!」みたいな気まんまんで整理していたのだけど、結局半年くらいで破綻したんだよなぁ。
漫画喫茶の棚やCDレンタルショップの棚が、開店当初は小綺麗なのに、日数の経過と共にカオスになって行く理由がぼんやりと理解出来た。と同時に、秩序を保って整理されている図書館の運用はすごいなーとも思った。やっぱり圧倒的な敷地が必要なんだよ。拡張可能な広さが無い限り、名称別の整理法はいつか破綻するんだ! オレが怠けたからじゃない!
もうPCでリッピングして、現実に存在するCDはそれっきり触らないような音楽管理をした方が良いのかなー。
CDの移動作業をやっている途中で出て来たPRETTY MEIDSのSPOOKEDってCDを久しぶりに聴いてみたんだけど、いやぁ、おもらしするくらいかっこいい。これが10年前の作品だもんなー。まだまだ音楽に関しては、パッケージ販売って通用すると思ったね。CCCDみたいな訳分からんことやってリスナーを裏切らなければ、だけど。
あ、今年のベストチューンはENSIFERUMのVictory Songに決定だな。もう声がどうだからジャンルはデスメタルとか分類しているのが些細なことだと思うなぁ。理屈抜きにかっこいいんだよ。ジャケットもダサかっこいいにも程があるというくらいに大好き。
ちょうど昨日、漫画喫茶で浦沢直樹の『20世紀少年』を読み終えて、その余韻も冷めやらぬまま、今日なにげなくグーグルの検索ボックスに「20世紀少年」と入力してみて、びっくりした。
関連するキーワードの組み合わせを提示してくれるんだけど、それが「20世紀少年 ネタバレ」みたいな生易しいものじゃなくて、ストーリーの核心部分というか、それを見せたら物語は完結だろっていう。やりすぎ家庭教師ってレベルじゃねーぞ!
読み終わってからの遭遇で本当に良かった。
まぁそれだけ検索回数の多いキーワードの組み合わせだったんだろうなぁ、くらいのことは思うけども。
検索するっちゅーか、サジェスト機能が利いてるGoogle 日本とかYahoo!検索といった画面の検索ボックスに「20世紀」って入力しただけでもアウトだからね。とてつもなくevilな動きですね。
ドラクエのルーラくらいのノリで検索ボックスを使ってる人は注意が必要だよね。自戒も込めて。
ストリートビューみたいに、報告をしたら関連キーワードから削除してくれるのかしら?
終戦間もない昭和の日本。女学校に通う楠本頼子と柚木加菜子は、最終列車に乗って湖に行く計画を立てる。当日、加菜子は到着した電車に轢かれてしまう。偶然居合わせた警視庁捜査一課の木場刑事は、混乱した現場で頼子の監視を頼まれる。加菜子の安否を気遣う頼子とともに、運ばれた病院に向かった木場は、そこで加菜子の姉と名乗る女性、柚木陽子と出会う。それは、木場が憧れていた女優、美波絹子その人だった。京極夏彦の大ベストセラー小説のコミック版ついに刊行!!
このコミックシリーズを友人のユーキさんが買ってて、以前に勧められた事があったのだけど、「京極夏彦の妖怪シリーズをコミック化したら、脳内イメージとずれちゃってダメっしょ~」とスルーしてた。
あれから数年経ち、Kindleストアでお勧めに出て来たのと、ちょうどセールになってた事も重なって、物は試しだとポチってみたら、めちゃくちゃ良いじゃないですか。たまげた。
キャラクターの造形に違和感の無い点も素晴らしいのだけど、何より原作の奇怪な雰囲気まで丁寧に描写されてて、あちこちのコマで京極堂は世界を終わりそうなくらい不機嫌な顔をしていて本当に素晴らしいコミック化になってる。
少年探偵みたいな恰好をしてる敦ちゃんは可愛いし、木場修はイメージ通りにゴツくて不器用だし、関くんは段々とウザさが増してくるし、榎さんはひゃあとか言いながら着替えるし、原作ファンには堪らないね。そのまま勢いで『姑獲鳥の夏』も全巻買ってしまった。こちらも素晴らしかった。
原作小説を読んでる人にとっては最高の追体験が味わえるのだけど、実際のところ、小説未読の人が読んだらどういう感想になるんだろう? という点は興味があるね。
6年前に同じ作者の作品『獣の奏者』をあまりに面白くて一気読みしていて、今回も『鹿の王』全4冊の合本版をKindle Paperwhiteを持ち歩きながら、あまりに面白くて一気に完読してしまった。
Kindle Paperwhiteで作品を開くと「この作品を読み終えるのに必要な時間はおよそ18時間」みたいに表示されて、実際に自分の読書時間を計測している訳ではないから18時間読んでいたのか不明ではあるけど、夢中になって読んだのは確か。ゲームで18時間はなかなか捻出できないのに不思議だね~。
強大な帝国・東乎瑠から故郷を守るため、死兵の役目を引き受けた戦士団“独角”。妻と子を病で失い絶望の底にあったヴァンはその頭として戦うが、奴隷に落とされ岩塩鉱に囚われていた。ある夜、不気味な犬の群れが岩塩鉱を襲い、謎の病が発生。生き延びたヴァンは、同じく病から逃れた幼子にユナと名前を付けて育てることにする。一方、謎の病で全滅した岩塩鉱を訪れた若き天才医術師ホッサルは、遺体の状況から、二百五十年前に自らの故国を滅ぼした伝説の疫病“黒狼熱”であることに気づく。征服民には致命的なのに、先住民であるアカファの民は罹らぬ、この謎の病は、神が侵略者に下した天罰だという噂が流れ始める。古き疫病は、何故蘇ったのか―。治療法が見つからぬ中、ホッサルは黒狼熱に罹りながらも生き残った囚人がいると知り…!?
たったふたりだけ生き残った父子と、命を救うために奔走する医師。生命をめぐる壮大な冒険が、いまはじまる―!
一級品のファンタジーであると同時に、架空世界で医療サスペンスをやってみせたようなスリラー的な面白さもあって、本当に夢中で読める物語です。
作者である上橋菜穂子さんは、あとがきで、本作は執筆に何年もかかった産みの苦しみも吐露しており、こんな超大作を読ませてもらって感謝しかない。架空の世界を設定するだけでなく、歴史や生き物に壮大な深みを与える創作というのは、想像を絶する作業だろうなと思う。
多分とんでもないページ数だった筈ですが、Kindle版はどこでも持ち歩いて読めてマジでおすすめ。
愛知県公安委員会から運転免許証更新連絡所のお便りが届き、今回も優良運転者(いわゆるゴールド免許)が継続となり、名古屋市の運転免許センターまで出向かなくても近隣の警察署で更新手続きができる運びとなった。
実際のところ、在宅ワークで早めに仕事を切り上げれば余裕で行けるのであるが、年次有給休暇が例年通りめちゃくちゃ余っており、まぁこういう機会でも無いと使わないから、仕事をまる1日休んで更新しに行った。
事前に愛知県警察のWebページで更新手続案内ページを確認したところ、2023年(令和5年)現在は、警察署での更新を受け付けているのは平日月曜~金曜の午後だけで、午前中は高齢者講習に充てられるようになったようだ。人口構成比を考えれば、70歳以上の人が運転免許証の更新または返上に訪れる数は相当なものだろうし、仕方ない。
12:30頃に最寄りの常滑警察署へ赴き、
を行い、無事に更新後の運転免許証を受け取った。
講習では電動キックボードの交通ルールや、あおり運転の厳罰化といった、近年の道路交通法トピックが取り上げられていた。引き続き歩行者最優先の安全運転に努めたい。

本日付でヤフー株式会社から通算で17年勤務していたLINEヤフー株式会社(以降LY社)を退職した。
退職の理由とかタイミングの話は、すべてLY社の社内ネットワークにあるConfluenceというWikiシステムに書いておいたし、LY社に改善を望むことは退職者インタビューで伝えてあるため、ここでは会社員生活の振り返りとして歴代社長の感想を書いておくことにする。僕は2008年にヤフー株式会社に吸収合併されて入社した立場の社員であったため、文章のほとんどがヤフー時代の社長に関する感想となる。

僕がヤフーに入社した2008年は井上雅博氏が社長をやっていた。後の社長交代後はこの時期をさすレトロニムとして「井上体制」「井上ヤフー」と様々な呼ばれ方があるがここでは「井上ヤフー」で統一する。
どうもヤフー創業時からの伝統だったらしいのだが、当時に中途で入って驚いたところは、
こういう独特だったところは最初なかなか慣れなかった。
あと、井上さんは入社年次の早い社員からはとても慕われていて、逆に僕がヤフーに入った前後(2005-2010年頃)に新卒や中途で入った社員からは、冷たい印象を持たれたり「給与が渋い」といった意見をよく言われていた気がする。僕自身もどちらかというと後者の印象だったが、一方で僕らの会社が吸収合併される際は、わざわざ対面で出向いて説明に来ていた。だからビジネス上の「仁義」みたいなものを重視する人なのかなぁ、という印象もあった。
仕事で深く話したことも無かった僕から見た井上さんは、業績に関してはとんでもない結果を出し続けていたが遠い存在であった。好き嫌いの感情もほとんど持っておらず、フラットな気持ちだった。退任劇については書籍などでも色々と書かれているが本当のところはよく分からない。ただ身の引き方は今にして思うと本当にスパっと辞めたのが凄かった。井上さんだけでなく、当時の取締役といった人たちもセットで退任させて、後の宮坂ヤフーに対して一切の影響力を残さなかった。なかなかできることじゃない。
ヤフー創業時(1996年-)から井上さんと一緒に仕事していた人から見ると、もっとすごいエピソードが出るのだと思うが、僕にとっての井上さんは 身の引き方がすごい が一番の感想であった。
2012年からは、現任の東京都副知事をしている宮坂学氏がヤフーの代表取締役社長・CEOに就いた。宮坂ヤフーを経験している社員の中には、未だに宮坂さんのことが大好きだという人が多い。もちろん僕もその一人である。
宮坂ヤフーの時代はもう すべてが変わった 。「えっ、会社ってこんなに変えちゃっていいの?」と心配になるくらい、制度も文化も何もかも変わった。ヤフー株式会社がLINEヤフー株式会社に経営統合されてから今日までの変化量を100とすると、井上ヤフーから宮坂ヤフーになった時の変化量は僕の主観で250くらいは違っている(もちろんLY社は今後さらに変わって行くだろうから、あくまで2025年10月までの変化量で比較している)。何より変化が早かった。そう、爆速である。
「爆速」なるキャッチーなキーワードは、大変わかり易かった。未だに経営者で「打席に立つ回数を増やすんだ」的な野球の例えを用いる人もよく見かけるが、ああいうのは野球経験者やプロ野球観戦する人でもないとピンと来ないのではないか。宮坂さんのメッセージは「俺たちのビジネスはPC大陸からスマートフォン大陸に向かいます! 現場に権限移譲します! じゃあ爆速で皆よろしく!」といった感じで、シンプルだ。当時はまだデプロイの計測をやってる現場は少なかったけど、明らかに本番デプロイの頻度は増えていて、速くなり過ぎた結果インシデント(事故)も増えたからちょっと揺り戻しも必要になるくらいだった。
当時の様子はINTERNET Watchに今でもちゃんと残っていて参照できる。インプレスグループのメディアって本当に素晴らしいよね。記事の見出しも簡潔かつ、よくまとまっている。宮坂さんたち経営陣がメディア露出するときに着用する爆速Tシャツは皆めちゃ欲しがってた。
もちろん、これだけの思い切った変化ができたのは、先に書いたとおり前任の井上さんが一切の影響力を残さず去ったことがとても大きい。宮坂ヤフー時代に、古株社員として威張り散らす人も極めて少なかった(完全に居なかった訳ではないが、ほとんど遭遇しなかった)。
また、宮坂さんだけが凄かった訳ではなく、配役が優れていた。登る山とビジョンを示していつもニコニコしているCEOの宮坂さん、時には失敗プロジェクトの総括会議や不振サービスのクローズといった嫌われ役もやるCOOの川邊さん、モバイル野郎としてハッカー向けイベントや面白い制度や情シス的な変更を皆に共有するCMO村上さんの三頭政治がいい感じに機能していたし、本間さんに人事部門のトップを任せて全社的に1on1って制度を浸透させたりと、執行役員レベルでも象徴的な配役をいくつもやっていた。
宮坂ヤフー時代には経営陣が地方拠点を回って社員と話す場を設けたり、コミュニケーションを活性化するためのイベントも増えた。中でも大きなイベントとして年イチで「社員大会」が開催されるようになった。東京で大きな会場を借り切って、1カ所に全国の地方拠点からもあらゆるヤフーの経営陣・従業員が集まるイベントだ。たしか宮坂ヤフーのときにCS(カスタマーサポート)子会社も吸収され同じ会社となったことで、いつも社内チャットではお世話になってるけど直に話したことの無かったCS部門の人と初めて対面で挨拶できたし、地方拠点(名古屋オフィス)勤務だった僕らにはシティホテルの宿泊部屋と新幹線の往復チケットも用意され、ちょっとした旅行気分だった。それなりに費用もかかるだろうし、今風に言うと社員のエンゲージメントを高めるための投資として考えた結果の決断ではないかと思われるんだけど、両国国技館を貸し切ってど真ん中に立った宮坂さんが満面の笑みで言ったことは「一度やってみたかったんだよね!」であった。社員大会には孫さんも当時の取締役会長として毎回やって来て、一緒に爆速うちわ片手に記念撮影したりしていた。
LY社にも受け継がれて残ってる制度として、祝日と土日が被ったら、消滅する祝日に代わってひとつ前の労働日が休日化される制度がある。消えゆく祝日の救済制度だ。普通に考えたら社員の稼働日が減るだけで、支払う給与総額は変わらないし会社にはあまりメリットが無い気がするのだが、「働く皆がハッピーなら大丈夫でしょ!」という感じで宮坂ヤフー時代にあっさり導入された。考え抜いた末に決めたことも、長ったらしい説明をしないところが宮坂さん流であった。なるべく社員の前では弱みをあまり見せないよう振る舞っていたように僕からは見えたが、当時のヤフー自社製チャットツールMYMには「社長室」というチャットルームがあって、株主総会の終わった直後だけは「今回も緊張したぁ~」と宮坂さんが本音で書き込んでいた。忙しさから滅多に書き込まれないが、社員からは「これもう日本で一番気軽に入れる社長室だろ」といった感じで親しまれていた。
宮坂さんが残して行った言葉から影響を受けた社員は僕も含め本当に多くて、とくに 「迷ったらワイルドな方を選べ」や「脱皮しない蛇は死ぬ」といった言葉は今もよく語り草にされている。僕は「利益はすべてを癒す」が一番印象に残っていて、これは宮坂さんが「卒業講演」で使った言葉だ。卒業講演というイベントも宮坂ヤフー時代に出来上がったもので、かつてのボスだった井上さんに「お願いします! 社長時代の裏話を皆の前で話してくださいよ!」と宮坂さんが連れてきて始まったイベントだ。ヤフーの社長を務めた人は最後に皆の前で明け透けに話すのである。「利益はすべてを癒す」は利益さえ出ていればワイルドなチャンレジもできる、みたいな文脈で使われていたと記憶していて、経営に関する言葉なんだけど、僕はちょうどこの頃から株式投資もするようになっていて「そっか、利益出ていると会社は大胆なチャレンジができるんだな~」と小学生並みの感想でとても印象に残った。自身の後任社長に川邊さんを指名して「社長が変わる度に就任時の年齢が若返る会社にしたいね! 今回は俺が社長になった時より1歳だけ若い川邊くんに託します!」「俺が使ってみたかった会社のイケてる制度? サバティカルだね!」と最後までニッコニコで話していた宮坂さん。「俺って起業を経験してないサラリーマン社長だからさ~」と謙遜しながら、とにかく会社に最大の破壊的変化をもたらした型破りな社長だった。
「私はインターネットが大好きだ!」を合言葉に川邊健太郎氏がヤフーの社長に就任した。43歳だ。すごい。43歳でこんな大企業の社長をやれと言われても普通できないだろう。が、僕は当時の川邊さんはあまり好きじゃなかった。何だか発言の端々が軽薄な印象があったのだ。
あと宮坂ヤフー時代、川邊さんはCOOとして次々と零細サービスをクローズさせ、強いサービスはより強いサービスになるよう人員リソースを集中させていたのも内心では少し反発していた。もともと井上ヤフー時代はインターネットポータルは百貨店、みたいな感じで流行ってなくてもいいから色々やってるのが大事、主力サービスがちゃんと稼げてればOKって方針で、細々やってるサービスはある意味で牧歌的であった。急に利益貢献をシビアに求められるのは違和感があった。ただ営利企業である以上は、いつか誰かがやらなきゃいけない判断だったような気もする。
そんな川邊さんがシン・川邊さんとして覚醒した時期があった。シン・川邊さんというのは社内通称としてあった訳ではなくて、何となく文章を打ち込みながら僕が今思い付いた勝手な呼び方である。コロナ禍として感染症が猛威を振るったのち、収束後もヤフーがフルリモートに振り切ると決断した頃だ。この時期はAll Hands Meeting(いわゆる全社朝礼)も1カ所に集まれず全員リモート参加でやらざるを得なかった。ビデオ会議ツールに投稿された社員からの多くの質問に時間を費やし、川邊さんは予定時間を超過して分刻みのスケジュールを心配している裏方の社員に対しても「いや、全員に回答するよ」と延長してでも話して伝える努力をしていた。フルリモート化というのは、全員が諸手を上げて賛成していた施策ではなかったのだ。そりゃそうだ。全員が全員、自宅で会社と同じパフォーマンスで働ける環境がある訳ではない。
他にも、シン・川邊さんエピソードとして印象に残っているのは、(詳細は書けないが)ソフトバンクグループの全体イベントみたいな場で、孫さんが老害と思える言動をした時に誰もが茫然と見ていたところを川邊さんが諫めたことだ。こういう言動できる人が自分たちの社長なんだ、と頼もしいし誇らしい気持ちになった。
LY社の会長となってからの川邊さんは、X(Twitter)でのインプレッションを集めることに熱中していて以前とはまたちょっと別の人になってしまった感じだ。スカッとする経営者一刀両断なことを投稿しているが、それLY社でもできてないじゃん、としか感じられない発言もあって、正直モヤモヤする。
僕にとっての川邊さんは 人は40代になっても変われる ことを体現して見せてくれた人だ。
川邊さんの後任として、インターネット業界では通称おざーんで著名な小澤隆生氏が社長になった。結果としてヤフーで最後の社長である。小澤さんは宮坂ヤフー時代にショッピングの事業責任者として引っ張って来られた人だ。僕はヤフーでeコマース関係の仕事を担当したことが無くて、小澤さんは「とにかく話が面白い人」くらいの認識しかなかった。実際、人前で話すと本当に面白くて、とくに楽天球団立ち上げなんかのエピソードは何回聞いても面白いので、もしインターネット上に動画があればぜひ見てみて欲しい。社長になるにあたってヤバい発言が多いとかの理由でX(Twitter)アカウントを削除して臨んだ小澤さんは、並々ならぬ決意で社長をやろうとしているのを感じた。
ただ、結局その後は広く知られている通り、LINEヤフーとして経営統合がされる運びとなり、小澤ヤフーに変化するための制度案なども示されていた(詳細は書かないが若手社員にはいい話が多そうだった)にも関わらず、結局これらは実施されなかった。
僕がいち社員として川邊さん・小澤さんに対して抱いていたギャップとしては、PayPayの立ち上げに関する認識の違いがあって、プロ野球方面のインターネットミームに「わしが育てた」というものがある。平たく言うとこれだ。とくに小澤さんはPayPayの立ち上げを成功体験として度々話していた。が、末端にいた社員からするとPayPayは「ソフトバンクのやり方でいつの間にか盤面をひっくり返して全部掻っ攫っていったコード決済サービス」であって、ヤフーで一丸となって作り上げたものではない。一部の社員はアプリエンジニアとしてヤフーからPayPayに出向していたから、そういう人の中にはオーナーシップを感じている人も居たかもしれないけど。
PayPay立ち上げ期のある日、僕が勤務先のヤフー名古屋オフィスに出社するとフロアの端にショッカーのように統制された集団が居てあれは何だろうと不思議に思っているとPayPay営業部隊として新規に採用された人たちだった。ローラー作戦で店舗を開拓すべく、全国の拠点で毎日こんな感じだったらしい。すごくソフトバンク流っぽい。僕らヤフー社員も、PayPayアプリから支払いできるとピンが立ってる店に実際行って使えたかレポートするといった程度の協力はしていたが、自分たちで作ったり育てた感覚は皆無だったから、とにかくギャップは感じた。ソフトバンクグループに特有の複雑な出資や株式交換のスキームもあって、未だにPayPayは誰がつくって成功に導いたサービスなのか何もわからない。逆に言うと訳わからんうちにPayPayができているのがソフトバンクグループの強さ・恐ろしさとも言える。
その後の小澤さんはLY社の顧問を辞して、ベンチャーキャピタルを始めたようだ。もともとYahoo!ショッピング責任者の傍らでYJキャピタルという名前のCVCをやっていて、社員に対しても「私はM&Aが大好きだ―っ」と繰り返し言ってたので、好きなことやりたくて行動した結果だろう。小澤さんがLY社を去るとき社内チャットにも「権力闘争に敗れた」とか「将来に見切りを付けた」と好き勝手に評する意見が投稿されたが、僕から見ると 本当に好きなことやるために決断して素早く動いた 人に映った。eコマース関連の仕事を一緒にしていた社員からは、もっと面白いエピソードがいくらでも出て来そうな、とてもユニークな人物である。
ZホールディングスのCo-CEOという、あまり聞かない共同CEOなる役割を川邊さんと2人でやっていた出澤剛氏が経営統合後LINEヤフーの社長となった。川邊さんが会長で出澤さんが社長だ。この時の経営統合スキームも複雑で、僕には何が何だかよくわかっていない。
出澤さんのことはよく知らないため、LY社における印象でしかないが、良く言えば冷静沈着で淡々としているし、悪く言えば自社のことを他人事みたいに話すなぁと思った。僕は昔からライブドア社のサービスをよく使っていて、もっと少人数に対してパッションを語る感じの人なのかなぁ、と想像していて、ちょっと思ってたのと違った。これは僕が勝手に期待して勝手に落胆しただけなので、感情としてはフラットだ。好きでも嫌いでもない。
余談になってしまうけど、井上ヤフー時代は社員に「お前らなるべく自社サービスを使えよ」といった方針があった。つまり検索なら「Yahoo!検索」を使い、競りなら「Yahoo!オークション」を使おうねということだ。今風に言うとドッグフーディングだろうか。宮坂ヤフー時代になると「他社のサービスもどんどん使ってみよう」になった。「My Yahoo!」よりも「livedoor Reader」、「Yahoo!ブックマーク」よりも「livedoor クリップ」を好んで使っていた僕も隠れキリシタンのように潜伏しなくて良くなった。うれしい。ただ自社サービスを優先的に使わせるのか、他社サービスも積極的に使ってみるのか、果たしてどっちの方針が理想かは難しいところだ。
とにかく出澤さんのことは詳しくないし手腕も知らないが、経営者としては結果を出す(業績・株価を上げる)ことしか求められていないと思っていて、ヤフー時代も含め僕は指定の証券口座を増やすのがどうしても面倒で最後まで使わなかった自社株制度で買っている社員が報われ、1株も持ってない僕が悔しくなるくらいの結果を出してくれると良い。2020年代に5大商社に勤めて自社株制度で買って積み立てている人なんかは株高のいま本当に報われているだろうし、羨ましい。
この日記では勤め先の社名は極力書かないようにしていて、今回のエントリで初めて明記した。以下のエントリはヤフー社員時代の話だ。別に現在のLY社に対して不利益を与える内容ではないと思われるからリンクしておく。
Yahoo! JAPAN Tech Blogにも僕の書いた記事が残っている(いつまで残るのかは全く知らない)。非実在社員ではない証明くらいにはなるかも知れないからリンクしておく。
最近のツッコミ
参号館
日記(ariyasacca)
Before...
▼ 雷悶 [>yuskato きっとお前はわしが育てた! (と言いたいがメンターだった人は他にもいる)]
▼ 同時期にYJを通過した者です [めっちゃ全文共感でした! 宮坂さんサイコー! ウォーターサーバーありがとう! 迷ったらワイルドな方を選べ!]
▼ 雷悶 [>同時期にYJを通過した者です 「第二の創業」って宣言する社長さん世の中に沢山いるけど人事制度いじる程度だろな~っ..]
▼ 週刊中年ジャンプ [自分もはてブから来ました!雷悶さん、お世話になりました!今後ともよろしくお願いします!!!このインターネット感素晴ら..]
▼ 雷悶 [>週刊中年ジャンプ コメントありがとうございます! 老眼に負けずワンピ完結まで読むぞ!!]