朝から親戚が大勢駆け付けてくれて、慌しい1日となった。
礼服に着替えて、まずは出棺の準備だ。葬祭センターの人たちが手際良く棺に遺体を入れてくれて、「じっくり顔を見られるのは、火葬の直前を除いたらこれが最後ですから」と説明した。皆がそれぞれ、顔を触ったり手を握ったり、別れを偲んだ。僕もじっくりと見る時間をもらって、「綺麗な死に顔だなぁ」と思った。そういえば昨夜は妹たちが祖母の口に紅を引いていた。今朝も葬祭センターの人たちが死化粧を直してくれたのだろう、とても安らかな顔をしていた。
棺を霊柩車に乗せる時に四隅の一つ持たせてもらった。棺は驚くほど軽かった。
地元の火葬場へ行くのは、祖父の葬儀の時以来、2度目となる。当時は僕は高校生で、祖父の棺が炉に入っていくのを見送った時に、胸が締め付けれるような気持ちになったことを今でも鮮明に憶えている。今日も祖母が入っていくのを見送った時に、もちろん哀しい思いはあったけれど、以前のような辛さは無かった。後から気付いたのだけど、火葬炉の音が静かになったのだ。昔の火葬場は、火を入れると、それこそ地獄の業火のような凄まじい轟音を立てていたのだが、今日の火を入れた際の音は、注意深く聞いていないと分からないほど小さなものだった。こういうところにも、技術の進歩があるのだと思った。音の大小で随分と印象が変わる。
1時間半くらいして、皆で骨を骨壷に入れた。喉仏は綺麗に出ていた。
今度は骨壷を持って、通夜の会場へと移動する。家で通夜を行った祖父の葬儀と違い、今回はホールを借りたのだ。僕の地元にも、こういった施設が結構増えて来た。地方では移動手段が専ら自動車になるため、駐車場の確保を考えなくて良いので便利だ。
通夜には沢山の人が焼香に来てくれた。知っている人も居たし、全く知らない人も居た。
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