こういう記事があった。
牛丼チェーン3社を囚人のジレンマに例えて、売上高だけ見て面白おかしく分析している。
ストーリーありきというか、数字の上下の裏には、べつに牛丼の価格以外にも各社の経営努力(という名のきつい労働環境)や、米国産牛肉輸入一時停止といった、より大きな要因があったよね。
などといった感想を持ちながら読んでいて、自分でも吉野家についてちょっと思ってることがあるので書いてみる。
かつて、マクドナルドのハンバーガーが65円で販売されていた2000年頃に、吉野家も牛丼を(ちょっと記憶が曖昧だけど)1杯280円で販売して、大きく売上を伸ばしていた。
僕は現在は、牛丼チェーンには滅多に足を運ばないのだけれど、当時は貧乏学生やってたこともあって、朝に新聞配達を終えた後なんかに、ちょくちょくお世話になっていた。
で、吉野家もマクドナルドと並んで時代の寵児としてよくテレビで特集されていた。その中で印象的だったのが、「吉野家は食券の券売機を設置しない。お客さんと接する機会が減ってしまうため」みたいなことを社長が言っていた。今でも探せばオンラインの記事で、似たような話が読める。
牛丼は吉野家が一番旨いんだと盲進していた僕としても「さすが吉野家だぜ! 他の猿真似チェーンとはサービスが違うんだ!」みたいに、今思うと痛々しいほどに感動していた有名エピソードだ。
翻って現在、少なくとも名古屋では、たまに吉野家に入ってみると、外国人スタッフの接客を受けることが珍しくなくなった。これ自体は別に、コンビニではしょっちゅうあることだし、モスでもたまに中国人の女の子が注文を受けてくれることもある。
とはいえ、彼らスタッフが
「大事にしたい文化とは、サービスで言えば、お客さんと目線を合わせなくても、お客さんの動作の一部始終を把握しているといったことですね」
たとえば、客がお茶を飲むとき、角度が高くなれば、それはお茶の量が少なくなっている証拠。すかさずお茶を追加する。客が食後に胸ポケットを探れば、それは薬を取り出す仕草。すかさず水を持っていく。つまり、客から要求されるより先に、客の動きによって求められるサービスを察知し、要求を満たす。
安部社長が考えている「阿吽の呼吸」のような、きめ細かなサービスが提供できているのだろうか。
たまにしか入らないと、メニューが入れ替わっていたりして、自分が食べたいものを伝えるのも一苦労である。学生のときに通ぶって(というか、つゆ少ない方が好きだから)注文していた「つゆ抜き」オーダーも、日本語でうまく意思疎通出来ているか不安になってしまう。
まあつまるところ吉野家は、とっとと券売機を導入しなさいってこった。
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