東野圭吾の『仮面山荘殺人事件』を読みました。講談社文庫の巻末解説は折原一大先生でした。
こいういう解説では、普通は何はなくともとりあえず誉めておくのですが、折原先生は「このトリックは俺が使おうと思っていたのに! やられた! 先を越された! だからこの作品は嫌い!」となかなか珍しい作品解説を展開します。
でも最後には
同じタイプの作品を頑迷に書きつづける作家のほうが、今は確かにマニア受けはするし、高く評価される傾向があるのだが、私には次に何が出てくるかわからない東野作品のほうがはるかに面白いし、高く評価すべきだと思っている。
何だか自虐ネタのような締め方をして持ち上げるのでした。さすが折原先生、凡人にはできない誉め方を平然とやってのけます。そこにシビレますね。憧れはしないけど。
何と名古屋の大須地区が一斉にEdyを導入するという。
商店街での「Edy」導入が、約150の店舗で一斉に行われるのは、全国でも珍しい例だという。今回の導入を記念して、7月1日に記念式典が実施されるほか、7月中は毎週末に「大須商店街Edyスタートキャンペーン」が展開される。7月1日から31日までの期間中、「Edy」のチャージ、利用のレシート3000円で1回、豪華賞品が当たる抽選会に参加できる。
確かに豪華賞品も大須に来る人に受けそうだから利用促進に繋がるだろうけど、この際、もの凄い萌えるカードフェイスの商店街共通クレジットカードでも発行(もちろん年会費はタダ)すれば、かなり利用者が増えそうな気がするぞ。どうかな。
大須ってメイド喫茶とかあるんじゃなかったっけ? そういう場所でも、カードや携帯でシャリ〜ンって払うのか?
自戒の為にメモ。
思うに、ソフトウェアも、本も、想像以上に複雑で大きなものであり、人間が誤りなく全体の設計を前もって行うというのは不可能なのではないか。設計が不要だとか、コードがすべてだという気持ちはさらさらないけれど、「コードを書かずに行う設計には何かしら本質的な限界がある」とは言えそうだ。
テストのないコードの信頼性が低いように、コードのない設計の信頼性は低いのではないか。
要するに、人間の能力はそれほど高くない。「ソフトウェアは、私たちの想像よりもずっと複雑」なのではないか。わたしはそんなことを考えています。
バグがとれない―― 設計がまずいから。きちんと設計してから作らないから。時間がないから。開発者が少ないから。仕様変更が多すぎるから。 …開発の現場ではこういう言葉がよく飛び交うと思います。そのとき、「ソフトウェアは、私たちの想像よりもずっと複雑」ということをちょっと思ってみてください。口に出さないまでも。
末端の人が不具合を発見した時に、設計が悪いとか、工程管理が悪いとか、どんどん上のせいにして行く。それこそ、例外をスローするみたいに。
そうする前に、ちょっと堪えてみることも大事かもしれない。
それでも上のせいだと思った時は、そう主張するのだけれども。
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