「2023年は任天堂の株主総会に行くか~」という気持ちになっており、予習のつもりで図書館に行って関連書籍として手に取って読んでいた。
ゲームボーイを生んだ技術者として著名な横井軍平氏の、1990年代にゲーム雑誌やその他メディアで受けたインタビューや対談の記事を再録されたもの。
本書に収録されている記事のうち、後半部分は文春アーカイブスのゲームボーイを開発した伝説の技術者・横井軍平「私はなぜ任天堂を辞めたか」で、2023年現在もオンラインで読める(時間が経過しても記事を削除せずアーカイブしている文春オンラインの姿勢は素晴らしい)。
横井氏は山内博社長(当時)や任天堂とも喧嘩別れした訳ではないのだけども、最低1,000億ラインの売上が求められて気軽にチャレンジできなくなったことを「大企業病」と称しているのが特徴的。バンドを脱退する人の「目指す音楽性の違い」みたいな感じだ。
任天堂で会社員として過ごした中で、社内で踏み台にされた経験があったと濁して書かれているけど、僕の考える「大企業病」は、まさにこういうワンマン社長の取り巻きや腰巾着みたいな人物が生まれて威張り散らすことだ。僕とは違って「大企業病」をものづくりの視点で捉えている点から、やはり横井氏は度量が広いのだと思った。
ソニーのゲームハードを代々遊んできた人は任天堂のゲームハードがスペック重視でないことを腐して開発哲学「枯れた技術の水平思考」を小馬鹿にしがちだけど、むしろ横井氏はソニーのウォークマンを絶賛していてNINTENDO64は好きじゃなかった、と主張してるところも面白いよね。
ソニーのウォークマンがいい例です。先端技術がヒット商品に結びつくわけじゃない。ソニーの技術でなければできないものでもけっしてない。ああいう閃きこそ重要なんです。
今度発売になった『NINTENDO64』はそういう意味では私の商品開発哲学とは違います。だからといって『64』が間違っているなどと大それたことも言いません。『64』が大ヒットすればその考えもまた正しかったということでしょう。
もし存命だったらPSPやPS Vitaといったゲームハードをどう見たかも聞いてみたかった。ちなみに僕はバーチャルボーイは失敗作だったと思っているが、後の3DSに繋がったって意味では偉大な発明のチャレンジであったのかも。
なんか横井軍平本の隣りに蔵書されていたのを気になって読んだ。カラー頁が多く、携帯ゲーム機の写真や当時の広告、あとは名作タイトルが紹介されており、軽い気持ちでパラパラ眺められるカタログ本である。
表紙から分かる通り、ゲームボーイが最も大々的に紹介されいてる構成であるが、個人的にはゲームボーイアドバンスやワンダースワンのカラーバリエーションにスケルトンがあって「この頃はスケルトン型のハードが流行ってたな~」と懐かしい気持ちで読んだ。
セガのゲームギアがボコスコに酷評されているが、単3電池6本も使って2~3時間しか遊べないハード設計では酷評も止む無しだとは思う。ゲームボーイは画面白黒だけど、登場時にはパズルゲームの対戦くらいにしか使われる発想が無かった、後のポケモンを生み出すきっかけとなる通信ケーブルが付いてる辺り、引き算の設計と残す・残さないの判断が凄いよねぇ。
持ってなかったから気にしていなかったけど、PSPのCPUコアってPS2と同じでMIPS 32bitアーキテクチャだったんだな~。久多良木社長時代のソニーハードは良くも悪くも尖ってるわ。
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