ボーダフォンが家族限定でない音声定額を発表。
ボーダフォンは11月1日から、特定の1人の相手に通話もメール(MMS、SMS、ロングメール、スカイメール)もし放題になる「LOVE定額」を導入する。相手に指定できるのはボーダフォン契約者で、月額利用料は315円。対象機種はプリペイド携帯電話を除くすべてのボーダフォン携帯電話。
1人とは言え、相手を指定出来る音声定額を月315円で提供というのはインパクトがある。最も安い料金プランでも適用出来る点も評価出来る。ウィルコムにペアで乗り換える人が多いと言うし、なかなかピンポイントで面白いサービスを考えたな、と感心してしまった。
最近、少しずつだがかつてのJフォン時代のようなユーザ本位のサービスが増えて来たのは明るい兆しだと思う。しかし、過去に約束を反故にされた教訓から、しばらくは様子を見る人も少なくないだろう。*1。
後はやっぱり、ペアでも持つと絵になるような(スペック以外が)魅力的な端末が必要では?
*1 って言うか、このプランも数ヶ月後に「やっぱり無理でした」となったらボーダは完全にお終いだな。
自動車って税金も掛かるし、運転中に他人の運転マナーで不快になることもあるし、自分が加害者になるリスクだってあるし、公共交通機関と自転車で移動していた方が明らかに健康に良いのだけれど。
僕もどっちかと言うと自動車で移動するのって億劫だなと思う側の人間です。ただ1点、すごく良いなと思っているところがあって。
自動車移動のすごく良いところはプライベートな空間で移動できる点なんですよ。
いや別に女の子とキャッキャウフフな雰囲気でお出掛けする意味でプライベート云々言ってるんじゃないですよ。
オートマチック車でひとり寂しく地方国道とか走ってると、すげー暇なんですよ。もちろん周りへの注意は怠らないけれど、それにしたって暇で暇で、頭がからっぽになってくる。邪魔する人も居ないから、心置きなく車内で好きな音楽を流したりして。そういうからっぽ状態の時こそ、突然ものすごいアイディアを閃いたりするんですよ!
1人で電車で移動している時は本を読んだりモバイルマシン広げたりできちゃうし。1人で自室で過ごしていると、ちんこに手が伸びてオナニーできちゃうし。ところが1人で自動車使って移動というのは、「プライベートな空間かつ、ハンドルを持つという姿勢を維持しなければならないのに凄まじく暇」という*1シチュエーションの強制によって、普段巧くいかないことをじっくり考える時間を持つことができる訳です。
日々あくせく働いてると、なかなか頭からっぽの時間って持てないんですよねー。ポジティブに考えると、田舎で暮らして移動手段として自動車必須の生活を強制させられるのも、悪いことばかりじゃありませんね!
日本で自動車を所有することよりも、公共交通機関の使用オンリーで移動する方がメリットが大きい場所って、東京周辺と大阪周辺に限られるよね。この2つの土地は、何度か短期の出張で過ごしたけれど、やっぱり都市として交通がすごく整備されてるのよね。あれだけ人がギュッと密集しているからこそ、鉄道事業者なんかも潤う訳で、他の日本の都市では、真似したくても真似できないというのが本当のところだと思いますよ。
名古屋っていうのは中途半端な都市で、自動車は有っても無くても割と何とかなる。
「道が異常に広い」ところを除くと、良くある日本の地方都市のひとつって感じ。
東京と大阪以外の地方都市で、自動車の所有メリットが全く無くて、かつ移動が快適にできるようなところは、なかなか無いんじゃないかなー。
*1 字面にすると凄いストレス溜まりそうだな!
10年くらい前にじーちゃんが亡くなって、去年にばーちゃんが亡くなったため、我が家では「じーちゃんばーちゃんの部屋」が空き部屋になった。だから時々、連休中などにかーちゃんが部屋を片付けて昔の写真を整理したりしている。
今日は、昭和2年発行の鉄道路線図が出て来た。大正12年のやつも一緒に出て来たのだけど、こっちは保存状態が良くないのであまり詳細には見られなかった。僕は路線図に萌えるタイプのスタンドではないのだけど、なかなか面白かったので写真を撮ってみた。
「鉄道旅行案内図(?)」という文字がばーんと表紙に登場する。ちなみに、同じシリーズの大正時代版は表紙も中も白黒だった。

昭和初期というと戦前なので、北海道の北東には「樺太」の2文字が!

馴染みのある中部地方のページを眺めると、さすがに現代と比べると駅の数は少ない。亀崎駅がちゃんとあったよ!

九州の路線図と見開きで、台湾の路線図も掲載されている。この頃は日本が統治していた時代だったんだなぁ。

最後のページには朝鮮の路線図と、さらに隅っこに沖縄の路線図が載っていた。
観光ガイドらしき本に載っているということは、当時は内地からこういったところへ行く観光需要もあったのかな?

あと、じーちゃんが死ぬ5日前くらいにばーちゃん宛てに書いた手紙も出て来て、「いつも味噌汁をつくってくれてありがとう」みたいなことが書かれていてグッと来た。
僕のじーちゃんは戦中は満州へ行っていて、戦後は中学の教師をやっていて、とても厳しい人で、中日ファンで、株もやっていて、日記が好きで死ぬ3日前まで物事を書き記していた人ということまでは知っていたんだけど、今日はじーちゃんが鉄道旅行好きだったことが新たに判明したのだった。
10年以上一緒に暮らしていたのに、自分がどこへ行ったというような旅行については、ほとんど話していなかったなぁ。
今年も健康診断を受けて来ました。
30歳から健診メニューに加わった超音波による腹部エコー検査も、「おいおいこんなエロくてねっとりした検査ってご褒美かよ勃起不可避だろ…」と感じていたのに、3年目ともなるとピクりとも反応しません。
腹囲も「一回り減りましたね~。何か運動を始められたんですかぁ~」って聞かれて「いや別に何もやってないッス(実際何もやってない)」という具合に検査全般に、とにかく興味が無いからさっさと終わってくれとずっと考えながら進んだのだった。元々へその周りは細くて、その一段下がビールの影響でやばいんじゃないかと考えているんだけど、測らなくて良いのだろうか。
健診結果のメモ。
中年太りを避けるにはビールを控えるしかないのだろうか。
午前中に健康診断でバリウムを飲んだのに、突発的な偉い人歓待飲み会的な催しに呼ばれて参加して来た。飲み放題メニューがアサヒスーパードライと知っていたら断ったのに。
店に行ったら2013新卒の人が何人か居て、今年のOJTリーダーを任せられたにも関わらず、数人しか顔と名前が思い出せないのだった。そういえば自分が新卒で入った会社でも、当時34歳くらいの人がメンターとして色々と面倒を見てくれて、自分もそういう年齢になって来たんだなぁと思った。メンターなんて一度もやってないのに、いきなりリーダーで数十人のカリキュラムを考えることになって、しかも準備の時間も全然無かったしで、もっと色々やりたかったのになと反省した。
10月からはプロジェクトマネジメント(笑)の真似事までやることになって、ミーティングばかりでコードを書く時間がどんどん減っている。正直かなり危機感を持っているし、イライラしている。
他人に仕事を依頼してスケジュール調整するだけになったら、プログラマとしてのキャリアの終わりを意味すると思ってる。意識してコードレビューにも口出しするようにしてる。今日から『プログラミング作法』という本を読むことにした。
尾張一宮駅前ビル(通称iビルと呼ぶらしい)で開催されているクラフトビアパーティに行ってきた。2014年が初開催ということだが、ビアフェスの許可も得てきちんとしたイベントとしてやってるらしい。
一宮市と言えば138タワーとCoCo壱番屋と高速沿いに林立しているラブホテルくらいしか知らなかったが、名古屋駅から10分で行ける尾張一宮駅がえらく立派でビビったのだった。なんか図書館まで一体化してるし凄い。何だここは。
クラフトビアパーティの会場としても使われていた尾張一宮駅前ビルは、開業して1~2年かそこらのピカピカで開放的な建物だった。そこに椅子を沢山並べて、会場として使っていた。

名古屋市の久屋大通公園でやっているオクトーバーフェストのパチモンイベントと違って、大学生の格安バイト大量動員といった感じは一切なく、それぞれブルワリーの人達が出店してビールを提供しているイベント運営だった。500円で結構なサイズのプラカップになみなみとビールを注いでくれるので非常に良かった。すぐ側でゴミ収集ステーションがあって、飲み終わったものは回収してくれるので、グラスのデポジット制とかいちいち考えなくて良く気楽だった。
フードも異常に安くて、300円でモスの倍くらい入ったオニオンリングが買えるし、ソーセージもアホみたいに盛り付けて600円とか採算を真面目に考えず、スタッフも何となく地元商工会のおっちゃん達が切り盛りしている風で、とにかく人を集めて盛り上げようみたいなやり方で清々しかった。
一宮で毎年こういうイベントやってくれたら、久屋大通公園のボッタクリ偽オクフェスには行かずに済むから、是非とも定番化させて欲しい。

先日の最終出社までにどうにか道筋をつけたいと考えていたものの一切どうにもなっていなかったことの一つに、自分のために書いてオープンソースとして公開していて妙に利用者が増えてしまったソフトウェアをどうするか問題があった。諸事情で2024年後半から完全にやる気を失っておりgithub.comにもほとんどログインしていなかった。
もともとこのpip-licensesなるPython上で動作するソフトウェアを作った理由は、当時の勤め先でちょっとした活動をするにあたって解決したい課題があって、サバティカル休暇で時間があったことで一気に書き上げたものだった。僕にとって欲しい機能はv1.0の時点でほぼ完成しており、そのままで良かったのだが、想定外にPRくれる人が居たり、Pythonやpipが毎年新しいバージョンがリリースされるサイクルに変更され、それらに依存するこのソフトウェアも年1回は改修リリースせざるを得ない状況になっていた。よって最初のリリースから6年くらいは真面目にメンテしていて7年目に差し掛かる頃から放置されていたことになる。
もちろん過去に読んだ『OSSライセンスの教科書』でも解説されていた通り、OSIで承認されたライセンスのほとんどは利用者側の自己責任が明記されており、インストール時ライセンスに同意の上で利用しているのだから、作者側は「やる気ないから放棄します」の姿勢でも問題はない筈だ。が、僕自身はプログラミングからは引退するものの別にキーボード打てない状態という訳でもないし、引き続きインターネット上では活動が続いて行くし、どうしたものかなぁと困っていた。
とりあえず久しぶりにGitHubへログインして自分宛てに届いた大量の通知を棚卸していたところ、PEP 541 Request: pip-licensesという連絡が来ていることに気付いた。どうやらこのPEP 541 – Package Index Name Retentionなるプロセスは、作者が行方不明になったり放棄され更新の止まってしまったPyPI(Pythonパッケージを公開するためのソフトウェアリポジトリ)上のプロジェクトを、別の人が引き継ぐために定義されているようだ。承認されれば、同じパッケージ名で別の人が最新バージョンをアップロードできるようになるとのこと。
こういうプロセスが存在すること自体、僕は全然知らなかったし「よく考えられているな~」とPython全体で整備されている民主的手続きに感心しつつ、せっかくやる気ある人が引き継ぎに向けて動いてくれているようなので、この連絡に乗っかって「自分はもう引退しちゃうからPyPI上で維持することはできないんだけど次に何すればいい?」とコメントし、提案されるがままにメンテナの引き継ぎ作業を開始した。
メンテナを申し出てくれた人に色んな権限を渡したところ、溜まりに溜まっていたPRsが猛烈な勢いで処理され、次のバージョンリリースに向かって爆速で準備が進んでいる。Trusted Publisherに対応することで、今後のリリースはGitHub Actionsから自動でやれそうだし、僕が関知しない間にアクティブなForkも幾つか誕生していたことから、統合の話し合いもコミュニティで始まったようだ。もっと早く引き継ぎやれば良かったなって思いもあるし、でも引退の意思が固まったのは自身の金融資産に一定程度の目途がついた(とはいえ資産の維持や計画的な取り崩しができるか今もって不透明である)最近のことだったから、仕方ないよなの思いもある。
今の気持ちとしては正直ホッとしている。 ホッとしている要因は、きちんと引き継ぎできそうな点はもちろん、想定以上に増えてしまった利用者に対して自分がメンテ継続できない申し訳なさのようなものを感じなくていい点や、自分よりすごい人から来るリクエストやレビュー依頼に対応しなくていい、という点も大きい。
IT業界で仕事していてもそうだし、業務外でOSS活動していても、とにかく自分より若くて才能があって野心に溢れた人が沢山いる。これは業界が知識やスキルの高速道路が常に整備されている以上しょうがないし、もしかしたら僕も(自惚れでなければ)20代-30代の頃は諸先輩方に対して同様に思われてる部分が多少あったかも知れない。勤め先では、自分と同世代か少し上の同僚の中には「若い奴の壁になりたい」と考えて今でも研鑽を怠らない姿勢の人も居た。素直にすごいと思うが僕には研鑽を続けることはできなかった。とにかく、これからは自分よりも若くて優秀でやる気も行動力もある人たちと比べて卑下する思いを抱えなくて済むのは、かなりホッとする。これが正直な気持ちだ。
作者がやる気を失くせばメンテが放棄されるのは当たり前のことだ。自分が使ってるオープンソースのソフトウェアが今日も動いているのは偶然だし、不慮の事故や災害で明日にも更新が止まるかも知れない。npmなんてよく壊れず維持されているよな(もう壊れているのかも知れない)といつも思ってる。QiitaとかZennにOSSの選定理由とか使い方を投稿するのもいいけど、それ以上に死なれて困るソフトウェアがあるなら、何かしら貢献した方がいい。ゾンビ状態で放置されてるソフトウェアなんてGitHubのそこら中に転がっている。
ともあれ、僕はそこそこ使われてしまったOSSの信頼できる人への引き継ぎが幸運にも完了できそうだし、自分のコードがVim/Neovimにマージされた(前にも書いたが僕より遥かに優秀な第三者がやってくれた)し、やる気あった頃にAppleのswiftにもPRがマージされた。また、「オープンソースを支援します」という名目でGoogle先生がTitan Security Keyなるものをプレゼントしてくれたこともあった(2つ貰ったけど2つとも開封していない。GAFAMは色々言われてるけどこうやってOSSを一方的に使うだけじゃなくて人・モノ・金を出すのは偉いと思ってる)。スターエンジニアではなくてもプログラマ人生としては充実していた部類と言えるだろう。引退することに心残りは無い。
引退してしまえば、今とてもホットな領域であるGitHub CopilotとClaude CodeとGemini CLIを誰が一番うまく活用できるか選手権みたいなやつをニュース追いかけて消耗する必要もない。これもホッとする要因の一つだ。最新情報のキャッチアップ競争から降りられるのは本当に嬉しい。願わくば再就職活動が必要になる事態が起きないことを祈っている。
最近のツッコミ
参号館
日記(ariyasacca)
▼ 店長やまもち(管理人) [うほ!これはいいですね。ちょっとボーダに戻りそうですよ。…まぁ、里帰りで嫁が実家に帰ってる今だから言えるんですけどね..]
▼ 雷悶 [子供の写メールでパケ死! これが親馬鹿の正しい姿! 入っておくとどこで役に立つか分からんもんですなぁ>ダブル定額]