今日は朝から祖母の三回忌で、とても慌ただしかった。祖母の死は、何となく実家に戻ろうと思うきっかけになった出来事だったし、もうあれから2年経ったのかと色々感慨深い。ちなみに三回忌と云うのは没後2年の時に行うものである。去年の日記に書いていた。
読経をしてもらっている時間は長いので、ただ正座しているだけでは足が痺れるばかりで、ついあれこれ考えてしまう。
地元の寺の住職が跡取りと交代して、今日来てくれた人は、僕が小学生の頃に一緒に遊んでくれた兄ちゃんである。よく、昼間に遊んだ帰りの日没時刻に、寺の鐘を衝かせてもらいに行った。子供の頃はフラットな関係だったのに、今ではお寺の住職と檀家の長男という微妙なパワーバランスが存在している。この現住職の兄ちゃんと、僕と、もう1人仲良く遊んでいた友人が居たのだけど、彼は持病を悪くして死んでしまった。しばらく手を合わせに行っていないので、今度訪ねてみよう。
こういった習合神道的な慣わしとでも云うのか、お経を読んでもらったり、戒名をもらう行為を、僕が死んだときにして欲しいとは思わない。基本的に見送る人が決めることなので、送られる当人に決定権は無いんだろうけど、例えば遺書などに「葬式は一切不要です」と書いておけば慮ってもらえるんだろうか。と云うか、うちは、いつまで檀家を続けるんだろう?
とにかく読経が長かったので、厨二くさいことばかり考えてしまった。正座は苦手だ。
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