面白かった。殺人事件の被害者の娘と加害者の娘が顔を合わせ、とある事件を画策するという残酷なプロットが、読者をぐいぐいと引き込む作品。
本書は大きく分けて三部構成となっている。
被害者と加害者、それぞれが残してきた子供が、似たような袋小路でうずくまっている。殺された側と殺した側が、実は同じ苦しみでつながっているのだとしたら……。
会ってみたい、と奏子は思う。
秋葉奏子と都築未歩が出会ってからの展開が、それまでに比べて退屈であるという評が多いとのこと(本書のあとがきより)だが、読んでみた感想としては、そんなことは全然無い。むしろ二人が出会って以降の方が、それぞれの内面の葛藤が曝け出されていており、心理描写に凄味を感じた。秋葉奏子が都築未歩にとある行為を唆すシーンなど、戦慄すら覚える。
現行の裁判制度において置き去りにされている犯罪被害者遺族の感情や、犯罪者の子供として生きて行かなければならない宿命を背負った者の辛さが、二人の登場人物を通して強烈に主張されている。
以下のようなシーンから、本書の強い社会性を感じることができる。
奏子の本心はもっと別にある。
誰か裁判長の家族を殺してくれないだろうか。「無念」という言葉を軽はずみに使う奴らに、その本当の意味を分からせてやりたい。
法廷で判決文を朗読する際に裁判長がしばしば「被害者の無念さはよく分かる」と述べることについて。
犯罪被害者遺族としての、途方もない無力感が伝わって来る。
これが殺人者の娘の休日だ。
腹が膨れると眠たくなり、愛する男のぬくもりを横に用意し、四人の死と、死刑判決を受けた父親の存在など簡単に脳裏から追い出し、まどろむ休日だ。
秋葉奏子が都築未歩に近付くため、遠巻きに都築未歩の休日の過ごし方を観察する場面より。
犯罪被害者の娘も加害者の娘も、人並みの幸せを獲得して生きてはいけないのか? 本書の後半部は、遺された者達の心の成長を描いており、十分に読み応えがある。
一冊通して、非常に面白かった。
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