本日付でヤフー株式会社から通算で17年勤務していたLINEヤフー株式会社(以降LY社)を退職した。
退職の理由とかタイミングの話は、すべてLY社の社内ネットワークにあるConfluenceというWikiシステムに書いておいたし、LY社に改善を望むことは退職者インタビューで伝えてあるため、ここでは会社員生活の振り返りとして歴代社長の感想を書いておくことにする。僕はヤフー株式会社に吸収合併されて入社した立場の社員であったため、文章のほとんどヤフー時代の社長に関する感想となる。
僕がヤフーに入社した2008年は井上雅博氏が社長をやっていた。後の社長交代後はこの時期をさすレトロニムとして「井上体制」「井上ヤフー」と様々な呼ばれ方があるがここでは「井上ヤフー」で統一する。
どうもヤフー創業時からの伝統だったらしいのだが、当時に中途で入って驚いたところは、
こういう独特だったところは最初なかなか慣れなかった。
あと、井上さんは入社年次の早い社員からはとても慕われていて、逆に僕がヤフーに入った前後(2005-2010年頃)に新卒や中途で入った社員からは、冷たい印象を持たれたり「給与が渋い」といった意見をよく言われていた気がする。僕自身もどちらかというと後者の印象だったが、一方で僕らの会社が吸収合併される際は、わざわざ対面で出向いて説明に来ていた。だからビジネス上の「仁義」みたいなものを重視する人なのかなぁ、という印象もあった。
仕事で深く話したことも無かった僕から見た井上さんは、業績に関してはとんでもない結果を出し続けていたが遠い存在であった。好き嫌いの感情もほとんど持っておらず、フラットな気持ちだった。退任劇については書籍などでも色々と書かれているが本当のところはよく分からない。ただ身の引き方は今にして思うと本当にスパっと辞めたのが凄かった。井上さんだけでなく、当時の取締役といった人たちもセットで退任させて、後の宮坂ヤフーに対して一切の影響力を残さなかった。なかなかできることじゃない。
ヤフー創業時から一緒に仕事していた人から見ると、もっとすごいエピソードが出るのだと思うが、僕にとっての井上さんは 身の引き方がすごい が一番の感想であった。
2012年からは、現任の東京都副知事をしている宮坂学氏がヤフーの代表取締役社長・CEOに就いた。宮坂ヤフーを経験している社員の中は、未だに宮坂さんのことが大好きだという人が多い。もちろん僕もその一人である。
宮坂ヤフーの時代はもう すべてが変わった 。「えっ、会社ってこんなに変えちゃっていいの?」と心配になるくらい、制度も文化も何もかも変わった。ヤフー株式会社がLINEヤフー株式会社に経営統合されてから今日までの変化量を100とすると、井上ヤフーから宮坂ヤフーになった時の変化量は僕の主観で250くらいは違っている(もちろんLY社は今後さらに変わって行くだろうから、あくまで2025年10月までの変化量で比較している)。何より変化が早かった。そう、爆速である。
「爆速」なるキャッチーなキーワードは、大変わかり易かった。未だに経営者で「打席に立つ回数を増やすんだ」的な野球の例えを用いる人もよく見かけるが、ああいうのは野球経験者やプロ野球観戦する人でもないとピンと来ないのではないか。宮坂さんのメッセージは「俺たちのビジネスはPC大陸からスマートフォン大陸に向かいます! 現場に権限移譲します! じゃあ爆速で皆よろしく!」といった感じ。当時はまだデプロイの計測をやってる現場は少なかったけど、明らかに本番デプロイの頻度は増えていて、速くなり過ぎた結果インシデント(事故)も増えたからちょっと揺り戻しも必要になるくらいだった。
当時の様子はINTERNET Watchに今でもちゃんと残っていて参照できる。インプレスグループのメディアって本当に素晴らしいよね。記事の見出しも簡潔かつ、よくまとまっている。宮坂さんたち経営陣がメディア露出するときに着用する爆速Tシャツは皆めちゃ欲しがってた。
もちろん、これだけの思い切った変化ができたのは、先に書いたとおり前任の井上さんが一切の影響力を残さず去ったことがとても大きい。宮坂ヤフー時代に、古株社員として威張り散らす人も極めて少なかった(完全に居なかった訳ではないが、ほとんど遭遇しなかった)。
また、宮坂さんだけが凄かった訳ではなく、配役が優れていた。登る山とビジョンを示していつもニコニコしているCEOの宮坂さん、失敗プロジェクトの総括会議や不振サービスのクローズといった嫌われ役もやるCOOの川邊さん、モバイル野郎として面白い制度や情シス的な変更を皆に共有するCMO村上さんの三頭政治がいい感じに機能していたし、本間さんに人事部門のトップを任せて全社的に1on1って制度を浸透させたりと、執行役員レベルでも象徴的な配役をいくつもやっていた。
宮坂ヤフー時代には経営陣が地方拠点を回って社員と話す場を設けたり、コミュニケーションを活性化するためのイベントも増えた。中でも大きなイベントとして年イチで「社員大会」が開催されるようになった。東京で大きな会場を借り切って、1カ所に全国の地方拠点からも集まるイベントだ。たしか宮坂ヤフーのときにCS(カスタマーサポート)子会社も吸収され同じ会社となったことで、いつも社内チャットではお世話になってるけど直に話したことの無かったCS部門の人と挨拶できたし、地方拠点(名古屋オフィス)勤務だった僕らにはシティホテルの宿泊部屋と新幹線の往復チケットも用意され、ちょっとした旅行気分だった。それなりに費用もかかるだろうし、今風に言うと社員のエンゲージメントを高めるための投資として考えた結果の決断ではないかと思われるんだけど、両国国技館を貸し切ってど真ん中に立った宮坂さんが言ったことは「一度やってみたかったんだよね!」であった。社員大会には孫さんも当時の取締役会長として毎回やって来て、一緒に爆速うちわ片手に記念撮影したりしていた。
LY社にも受け継がれて残ってる制度として、祝日と土日が被ったら前の労働日が消滅する祝日代わりに休日化される制度がある。普通に考えたら社員の稼働日が減るだけで、支払う給与は変わらないし会社にはあまりメリットが無い気がするのだが、「働く皆がハッピーなら大丈夫でしょ!」という感じで宮坂ヤフー時代にあっさり導入された。考え抜いた末に決めたことも、長ったらしい説明をしないところが宮坂さん流であった。なるべく社員の前では弱みをあまり見せないよう振る舞っていたように僕からは見えたが、当時のヤフー自社製チャットツールMYMには「社長室」というチャットルームがあって、株主総会の終わった直後だけは「今回も緊張したぁ~」と宮坂さんが本音で書き込んでいた。忙しさから滅多に書き込まれないが、社員からは「これもう日本で一番気軽に入れる社長室だろ」といった感じで親しまれていた。
宮坂さんが残して行った言葉から影響を受けた社員は僕も含め本当に多くて、とくに 「迷ったらワイルドな方を選べ」や「脱皮しない蛇は死ぬ」といった言葉は今もよく語り草にされている。僕は「利益はすべてを癒す」が一番印象に残っていて、これは宮坂さんが「卒業講演」で使った言葉だ。卒業講演というイベントも宮坂ヤフー時代に出来上がったもので、かつてのボスだった井上さんに「お願いします! 社長時代の裏話を皆の前で話してくださいよ!」と宮坂さんが連れてきて始まったイベントだ。ヤフーの社長を務めた人は最後に皆の前で明け透けに話すのである。「利益はすべてを癒す」は利益さえ出ていればワイルドなチャンレジもできる、みたいな文脈で使われていたと記憶していて、経営に関する言葉なんだけど、僕はちょうどこの頃から株式投資もするようになっていて「そっか、利益出ていると会社は大胆なチャレンジができるんだな~」と小学生並みの感想でとても印象に残った。自身の後任社長に川邊さんを指名して「社長が変わる度に就任時の年齢が若返る会社にしたいね! 今回は俺が社長になった時より1歳だけ若い川邊くんに託します!」「俺が使ってみたかった制度? サバティカルだね!」と最後までニッコニコで話していた宮坂さん。「俺って起業を経験してないサラリーマン社長だからさ~」と謙遜しながら、とにかく会社に最大の破壊的変化をもたらした型破りな社長だった。
「私はインターネットが大好きだ!」を合言葉に川邊健太郎氏がヤフーの社長に就任した。43歳だ。すごい。43歳でこんな大企業の社長をやれと言われても普通できないだろう。が、僕は当時の川邊さんはあまり好きじゃなかった。何だか発言の端々が軽薄な印象があったのだ。
あと宮坂ヤフー時代、川邊さんはCOOとして次々と零細サービスをクローズさせ、強いサービスはより強いサービスになるよう人員リソースを集中させていたのも内心では少し反発していた。もともと井上ヤフー時代はインターネットポータルは百貨店、みたいな感じで流行ってなくてもいいから色々やってるのが大事、主力サービスがちゃんと稼げてればOKって方針で、細々やってるサービスはある意味で牧歌的であった。急に利益貢献をシビアに求められるのは違和感があった。ただ営利企業である以上は、誰かがやらなきゃいけない判断だったような気もする。
そんな川邊さんがシン・川邊さんとして覚醒した時期があった。シン・川邊さんというのは社内通称としてあった訳ではなくて、何となく文章を打ち込みながら僕が今思い付いた勝手な呼び方である。コロナ禍として感染症が猛威を振るったのち、収束後もヤフーがフルリモートに振り切ると決断した頃だ。この時期はAll Hands Meeting(いわゆる全社朝礼)も1カ所に集まれず全員リモート参加でやらざるを得なかった。ビデオ会議ツールに投稿された質問に対して、川邊さんは予定時間を超過して分刻みのスケジュールを心配している裏方の社員に対しても「いや、全員に回答するよ」と延長してでも話して伝える努力をしていた。フルリモート化というのは、全員が諸手を上げて賛成していた施策ではなかったのだ。そりゃそうだ。全員が全員、自宅で会社と同じパフォーマンスで働ける環境がある訳ではない。
他にも、シン・川邊さんエピソードとして印象に残っているのは、(詳細は書けないが)ソフトバンクグループの全体イベントみたいな場で、孫さんが老害と思える言動をした時に誰もが茫然を見ていたところを川邊さんが諫めたことだ。こういう言動できる人が自分たちの社長なんだ、と頼もしいし誇らしい気持ちになった。
LY社の会長となってからの川邊さんは、X(Twitter)でのインプレッションを集めることに熱中していて以前とはまたちょっと別の人になってしまった感じだ。スカッとする経営者一刀両断なことを投稿しているが、それLY社でもできてないじゃん、としか感じられない発言もあって、正直モヤモヤする。
僕にとっての川邊さんは 人は40代になっても変われる ことを体現して見せてくれた人だ。
川邊さんの後任として、インターネット業界では通称おざーんで著名な小澤隆生氏が社長になった。結果としてヤフーで最後の社長である。小澤さんは宮坂ヤフー時代にショッピングの事業責任者として引っ張って来られた人だ。僕はヤフーでeコマース関係の仕事を担当したことが無くて、小澤さんは「とにかく話が面白い人」くらいの認識しかなかった。実際、人前で話すと本当に面白くて、とくに楽天球団立ち上げなんかのエピソードは何回聞いても面白いので、もしインターネット上に動画があればぜひ見てみて欲しい。社長になるにあたってヤバい発言が多いとかの理由でX(Twitter)アカウントを削除して臨んだ小澤さんは、並々ならぬ決意で社長をやろうとしているのを感じた。
ただ、結局その後は広く知られている通り、LINEヤフーとして経営統合がされる運びとなり、小澤ヤフーに変化するための制度案なども示されていた(詳細は書かないが若手社員にはいい話が多そうだった)にも関わらず、結局これらは実施されなかった。
僕がいち社員として川邊さん・小澤さんに対して抱いていたギャップとしては、PayPayの立ち上げに関する認識の違いがあって、プロ野球方面のインターネットミームに「わしが育てた」というものがある。平たく言うとこれだ。とくに小澤さんはPayPayの立ち上げを成功体験として度々話していた。が、末端にいた社員からするとPayPayは「ソフトバンクのやり方でいつの間にか盤面をひっくり返して全部掻っ攫っていったコード決済サービス」であって、ヤフーで一丸となって作り上げたものではない。一部の社員はアプリエンジニアとしてヤフーからPayPayに出向していたから、そういう人の中にはオーナーシップを感じている人も居たかもしれないけど。
PayPay立ち上げ期のある日、僕が勤務先のヤフー名古屋オフィスに出社するとフロアの端にショッカーのように統制された集団が居てあれは何だろうと不思議に思っているとPayPay営業部隊として新規に採用された人たちだった。ローラー作戦で店舗を開拓すべく、全国の拠点で毎日こんな感じだったらしい。すごくソフトバンク流っぽい。僕らヤフー社員も、PayPayアプリから支払いできるとピンが立ってる店に実際行って使えたかレポートするといった程度の協力はしていたが、自分たちで作ったり育てた感覚は皆無だったから、とにかくギャップは感じた。ソフトバンクグループに特有の複雑な出資や株式交換のスキームもあって、未だにPayPayは誰がつくって成功に導いたサービスなのか何もわからない。逆に言うと訳わからんうちにPayPayができているのがソフトバンクグループの強さ・恐ろしさとも言える。
その後の小澤さんはLY社の顧問を辞して、ベンチャーキャピタルを始めたようだ。もともとYahoo!ショッピング責任者の傍らでYJキャピタルという名前のCVCをやっていて、社員に対しても「私はM&Aが大好きだ―っ」と繰り返し言ってたので、好きなことやりたくて行動した結果だろう。小澤さんがLY社を去るとき社内チャットにも「権力闘争に敗れた」とか「将来に見切りを付けた」と好き勝手に評する意見が投稿されたが、僕から見ると 本当に好きなことやるために決断して素早く動いた 人に映った。eコマース関連の仕事を一緒にしていた社員からは、もっと面白いエピソードがいくらでも出て来そうな人である。
ZホールディングスのCo-CEOという、あまり聞かない共同CEOなる役割を川邊さんと2人でやっていた出澤剛氏が経営統合後LINEヤフーの社長となった。川邊さんが会長で出澤さんが社長だ。この時の経営統合スキームも複雑で、僕には何が何だかよくわかっていない。
出澤さんのことはよく知らないため、LY社における印象でしかないが、良く言えば冷静沈着で淡々としているし、悪く言えば自社のことを他人事みたいに話すなぁと思った。僕は昔からライブドア社のサービスをよく使っていて、もっと少人数に対してパッションを語る感じの人なのかなぁ、と想像していて、ちょっと思ってたのと違った。これは僕が勝手に期待して勝手に落胆しただけなので、感情としてはフラットだ。好きでも嫌いでもない。
余談になってしまうけど、井上ヤフー時代は社員に「お前らなるべく自社サービスを使えよ」といった方針があった。つまり検索なら「Yahoo!検索」を使い、競りなら「Yahoo!オークション」を使おうねということだ。今風に言うとドッグフーディングだろうか。宮坂ヤフー時代になると「他社のサービスもどんどん使ってみよう」になった。「My Yahoo!」よりも「livedoor Reader」、「Yahoo!ブックマーク」よりも「livedoor クリップ」を好んで使っていた僕も隠れキリシタンのようにならなくて良くなった。果たしてどっちの方針が良いのかは難しいところだ。
とにかく出澤さんのことは詳しくないし手腕も知らないが、経営者としては結果を出す(業績・株価を上げる)ことしか求められていないと思っていて、ヤフー時代も含め僕は指定の証券口座を増やすのがどうしても面倒で最後まで使わなかった自社株制度で買っている社員が報われ、1株も持ってない僕が悔しくなるくらいの結果を出してくれると良い。2020年代に5大商社に勤めて自社株制度で買って積み立てている人なんかは本当に報われているだろうし、羨ましい。
この日記では勤め先の社名は極力書かないようにしていて、今回のエントリで初めて明記した。以下のエントリはヤフー社員時代の話だ。別に現在のLY社に対して不利益を与える内容ではないと思われるからリンクしておく。
Yahoo! JAPAN Tech Blogにも僕の書いた記事が残っている(いつまで残るのかは全く知らない)。非実在社員ではない証明くらいにはなるかも知れないからリンクしておく。
5年くらい使ったAirPods Proの片方(右耳側)が再生されなくなってしまった。Appleストアに持ち込み修理した同僚から聞いた話によると、片方だけでもApple Care+未加入だと費用10,000円超えと聞いたことがあり、さすがにもったいない出費に感じられるしAmazonのポイントはひたすら余ってるから別に新規で買ってもいいのだが、そういえばビデオ会議のために使っていたUSBマイクを処分していて「こいつ買って設置する前はビデオ会議には昔のiPhoneに付属していたEarPods使ってたっけな」と思い出し、まだ手元には2-3個あるため引っ張り出して使ってみたら、これが実に丁度よい。
別に自分はカナル型イヤフォンの圧迫感は苦手ではなくて好きで使っていたのだけど、久しぶりにオープン型イヤフォンであるEarPodsで長時間の音楽を聴いていると、ずっと耳に装着していても全く疲れなくて「こういうのでいいんだよこういうので」が感じられた。いやワイヤーは邪魔だけども。
いまどき端末側にイヤフォンジャック付いてるiPhoneなんて無いでしょって話なのだが、実はまだiPod touch 7th Genを現役で使っており(未だにAppleからもセキュリティアップデートが配信される)、ストレージ128GBあるためApple Musicで追加したライブラリもまだまだ持ち歩ける。別に音質重視でないからiPhoneでクラウドストリーミング再生しても構わないんだけどダウンロードしておけば都度povoのギガが減らないし、EarPodsでならバッテリー切れを気にしなくていい(当たり前だ)し、疲れないしこれでいいじゃんに戻ってしまった。そういえばAirPods Proを使うよりも前は、ソニーのMDRシリーズ(Bluetoothでも繋げるしバッテリーが切れたら有線でも繋げる有能イヤフォン)を好んで使っていたことを思い出した。
iPod touchがAppleから完全に見捨てられEOSとなったら、その時は以前にGoogleストアクレジットの使い道に困って貰ったPixel USB-Cイヤフォン(earbuds)という製品がほぼ未開封で手元にあるから、これをiPhoneに接続して使えばいいや。繰り返しになるが、僕は外で音楽聴くとき別に音質重視していない。再生する音楽ジャンルは専らメタルだから、本当はソニー製品のようなドンシャリ系が向いてるイヤフォンがいいのかも知れないけど、今でもソニーがワイヤードイヤフォン売ってるのかすら知らないし、AppleかGoogleのやつでいいでしょ。
オープン型イヤフォンで気になるのは音漏れではあるが、これも今後は通勤電車に乗らない生活を志向しているため、まぁ大丈夫だろう。ただし、iPad miniとiPhoneの最新機種へのアップデートでようやく捨てられると思ってたLightningケーブルの出番がiPod touchのせいで増えるのはちょっと悲しいので、やっぱりPixel USB-Cイヤフォン + iPhoneがいいのかも知れない。
以前から予告されていたポケモンGOのレベルアップに関するアップデートが適用され、僕のアカウントが一気にレベル43からレベル62に上がった。ITmedia Mobileの記事にある通り、僕の道具バッグも例外なく上限突破で溢れてしまったため、まんたんのくすり300個ほど捨ててさらに道具バッグアップグレードを数回実施しておいた。
無茶苦茶すぎるだろう、とは思うものの、トレーナーレベル41から50の「レベルアップリサーチ」タスクがクリアできる気がせず、一生レベル43で止まりそうな感じだったので、一応レベルアップの目標が復活したこと自体はありがたい。裏目標として「年齢に追い付かれないレベルの維持」があったが、これに関してはもう有耶無耶になってしまった。
今年になって刷新したApple Watch Series 10とiPhone 17のバッテリーが思ったよりよく持つこともあって、最近いつでも冒険モードの設定をオンにした。ポケモンGOアプリを起動していなくても意外とあちこち動き回っているんだなとわかって面白い。
一応ポケモンGOに関してはまだ無課金のまま遊んでいるものの、ファイアーエムブレムヒーローズの方は気軽に課金するようになってきてしまっている。やはりガチャは悪い文明……ではあるが、Switch 2向けに発表されたファイアーエムブレムシリーズ最新作の開発予算に多少は貢献できた気がしなくもない。でも今後は毎月の給与キャッシュフローが無くなるんだから、やっぱり課金している場合じゃないぞ。
勤めていた会社がリモートワークに振り切ってから、5年ほどの間に色々と整えた在宅で働くために購入した機器を処分している。主にスタンド付属のマイクやモニタの上に設置していたWebカメラといった、Zoomというアプリケーションを介して実施されるビデオ会議で使っていたものである。
まだ退職日を迎えていなくて年次有給休暇の消化期間中であるものの、仮に再就職をすることになったとしてもIT業界への復帰は考えておらず、一旦この辺りの機器を片付けて机の上を広くしておいた方がNintendo Switch 2の設置スペースも広く確保できて良さそうだ。まだSwitch 2は設置完了していないものの、箱のサイズからして既にPS5よりも遥かに小さい(多分だけど1/5程度のサイズ感である)ため苦戦せず置けそうな予感がしている。
ビデオ会議するための機器が手元に無いと、例えばマイクロ法人を設立してバ美肉おじさんとして稼いで行く道は閉ざされてしまう訳であるが、そういう才能が自分に無いことは自分で一番よくわかっているため、大丈夫だ、問題ない。
先日の最終出社までにどうにか道筋をつけたいと考えていたものの一切どうにもなっていなかったことの一つに、自分のために書いてオープンソースとして公開していて妙に利用者が増えてしまったソフトウェアをどうするか問題があった。諸事情で2024年後半から完全にやる気を失っておりgithub.comにもほとんどログインしていなかった。
もともとこのpip-licensesなるPython上で動作するソフトウェアを作った理由は、当時の勤め先でちょっとした活動をするにあたって解決したい課題があって、サバティカル休暇で時間があったことで一気に書き上げたものだった。僕にとって欲しい機能はv1.0の時点でほぼ完成しており、そのままで良かったのだが、想定外にPRくれる人が居たり、Pythonやpipが毎年新しいバージョンがリリースされるサイクルに変更され、それらに依存するこのソフトウェアも年1回は改修リリースせざるを得ない状況になっていた。よって最初のリリースから6年くらいは真面目にメンテしていて7年目に差し掛かる頃から放置されていたことになる。
もちろん過去に読んだ『OSSライセンスの教科書』でも解説されていた通り、OSIで承認されたライセンスのほとんどは利用者側の自己責任が明記されており、インストール時ライセンスに同意の上で利用しているのだから、作者側は「やる気ないから放棄します」の姿勢でも問題はない筈だ。が、僕自身はプログラミングからは引退するものの別にキーボード打てない状態という訳でもないし、引き続きインターネット上では活動が続いて行くし、どうしたものかなぁと困っていた。
とりあえず久しぶりにGitHubへログインして自分宛てに届いた大量の通知を棚卸していたところ、PEP 541 Request: pip-licensesという連絡が来ていることに気付いた。どうやらこのPEP 541 – Package Index Name Retentionなるプロセスは、作者が行方不明になったり放棄され更新の止まってしまったPyPI(Pythonパッケージを公開するためのソフトウェアリポジトリ)上のプロジェクトを、別の人が引き継ぐために定義されているようだ。承認されれば、同じパッケージ名で別の人が最新バージョンをアップロードできるようになるとのこと。
こういうプロセスが存在すること自体、僕は全然知らなかったし「よく考えられているな~」とPython全体で整備されている民主的手続きに感心しつつ、せっかくやる気ある人が引き継ぎに向けて動いてくれているようなので、この連絡に乗っかって「自分はもう引退しちゃうからPyPI上で維持することはできないんだけど次に何すればいい?」とコメントし、提案されるがままにメンテナの引き継ぎ作業を開始した。
メンテナを申し出てくれた人に色んな権限を渡したところ、溜まりに溜まっていたPRsが猛烈な勢いで処理され、次のバージョンリリースに向かって爆速で準備が進んでいる。Trusted Publisherに対応することで、今後のリリースはGitHub Actionsから自動でやれそうだし、僕が関知しない間にアクティブなForkも幾つか誕生していたことから、統合の話し合いもコミュニティで始まったようだ。もっと早く引き継ぎやれば良かったなって思いもあるし、でも引退の意思が固まったのは自身の金融資産に一定程度の目途がついた(とはいえ資産の維持や計画的な取り崩しができるか今もって不透明である)最近のことだったから、仕方ないよなの思いもある。
今の気持ちとしては正直ホッとしている。 ホッとしている要因は、きちんと引き継ぎできそうな点はもちろん、想定以上に増えてしまった利用者に対して自分がメンテ継続できない申し訳なさのようなものを感じなくていい点や、自分よりすごい人から来るリクエストやレビュー依頼に対応しなくていい、という点も大きい。
IT業界で仕事していてもそうだし、業務外でOSS活動していても、とにかく自分より若くて才能があって野心に溢れた人が沢山いる。これは業界が知識やスキルの高速道路が常に整備されている以上しょうがないし、もしかしたら僕も(自惚れでなければ)20代-30代の頃は諸先輩方に対して同様に思われてる部分が多少あったかも知れない。勤め先では、自分と同世代か少し上の同僚の中には「若い奴の壁になりたい」と考えて今でも研鑽を怠らない姿勢の人も居た。素直にすごいと思うが僕には研鑽を続けることはできなかった。とにかく、これからは自分よりも若くて優秀でやる気も行動力もある人たちと比べて卑下する思いを抱えなくて済むのは、かなりホッとする。これが正直な気持ちだ。
作者がやる気を失くせばメンテが放棄されるのは当たり前のことだ。自分が使ってるオープンソースのソフトウェアが今日も動いているのは偶然だし、不慮の事故や災害で明日にも更新が止まるかも知れない。npmなんてよく壊れず維持されているよな(もう壊れているのかも知れない)といつも思ってる。QiitaとかZennにOSSの選定理由とか使い方を投稿するのもいいけど、それ以上に死なれて困るソフトウェアがあるなら、何かしら貢献した方がいい。ゾンビ状態で放置されてるソフトウェアなんてGitHubのそこら中に転がっている。
ともあれ、僕はそこそこ使われてしまったOSSの信頼できる人への引き継ぎが幸運にも完了できそうだし、自分のコードがVim/Neovimにマージされた(前にも書いたが僕より遥かに優秀な第三者がやってくれた)し、やる気あった頃にAppleのswiftにもPRがマージされた。また、「オープンソースを支援します」という名目でGoogle先生がTitan Security Keyなるものをプレゼントしてくれたこともあった(2つ貰ったけど2つとも開封していない。GAFAMは色々言われてるけどこうやってOSSを一方的に使うだけじゃなくて人・モノ・金を出すのは偉いと思ってる)。スターエンジニアではなくてもプログラマ人生としては充実していた部類と言えるだろう。引退することに心残りは無い。
引退してしまえば、今とてもホットな領域であるGitHub CopilotとClaude CodeとGemini CLIを誰が一番うまく活用できるか選手権みたいなやつをニュース追いかけて消耗する必要もない。これもホッとする要因の一つだ。最新情報のキャッチアップ競争から降りられるのは本当に嬉しい。願わくば再就職活動が必要になる事態が起きないことを祈っている。
まとまった時間が取れたらやろうと考えてたことをやってみようシリーズ。このシリーズには他にPS5の開封や届く予定のSwtich 2開封や設置作業・セットアップ作業などが含まれているぞ。シリーズ全部やるとは言ってない。
今日はお日柄もよく、程よい気温だったため、3回目の車検を通したスイフトRStで気になっていたヘッドライトの黄ばみというか霞んだ感じを解消すべく、朝から小一時間かけて施工した。
施工前の写真。最近ディーラー寄ったときに洗車機やってもらってるけどヘッドライトは曇ったままなのが気になってるのよねー。
施工後の写真。撮影したiPhone 17でとくに写真加工はしていないがAI的な何かの処理で小綺麗にされている可能性はある。
やったことは、
の2つ。ディープクリーナーで掃除した直後はまだ曇ってて、やっぱりこの手の製品は大して効果ないんか~? と疑問に思っていたが、2番目のクリアガラスコートやったらピカピカのクリアになった。疑ってごめんなさい。
使ったやつはKURE 5-56でお馴染み呉工業のLOOXヘッドライト クリア&プロテクトというやつです。製品ページやAmazonの商品説明ページに動画解説があって、手先不器用マンでも割と簡単にできる。7年落ちのクルマでこれだけ効果があった(ように見える)のだから、中古車で買って状態が気に入らないような場合でも結構クリアになるんじゃなかろうか。施工後12時間は水かからないよう放置しなきゃいけないらしいので、やる気あっても実際やれるかは天候に左右されますな。今日は朝からよく晴れててラッキーだった。
僕が買ったときはセール価格1,200-1,300円くらいでした。このクリア状態がどのくらい持つのかは現時点では不明だけど、期待値としては次の車検(2026年2月)までは持ってくれると嬉しいところ。
全国の自家用車を所有している人から無作為に抽出して実施されているらしい、国勢調査のクルマ版に相当するOD調査2025(全国道路・街路交通情勢調査 自動車起終点調査)に回答した。選ばれたのは恐らく初めて。
あらかじめ「調査対象に選ばれました」的な予告ハガキが届き、その後10月になると調査票が送られてきた。ハッキリ言って指定された日のクルマでの移動をそれぞれメモっておいて回答・提出するのは非常に面倒なのだが、この統計によって国土交通省の道路新設や補修といった計画が決まるそうなので、当たってしまった以上はやるしかない。
国勢調査と同様に、Webサービスでの回答も受け付けているようで、紙での回答用紙記入だと発狂していたであろう調査内容もWebではGoogleマップ埋め込み地図でビジュアル表示しながらの回答ができて、多少はマシだった。こんなん会社員の人にやらせてたらガチでスルーされるか発狂モンだぞ。
回答を確定してから気付いたけど、自分の運転者としての属性を「無職」で選んでしまった。一応まだ「会社員」だったのだが、もうすぐ属性が変わるので誤差だろう。5年後はどうか抽出で当たりませんように。
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