私は2000年度から2003年度の4年間、中日奨学制度を利用して住み込みで新聞配達をしながら学校へ通っていました。
色々と黒い噂が絶えない新聞奨学制度ですが、一応私は五体満足で4年間続けることが出来ましたし、販売店の店長と奥さんには感謝しています。しかしながら、矢張り公式のウェブサイトには良い点ばかり強調されている印象がありますので、一応現場から見た新聞奨学制度の実態というものを、なるべく中立的な観点で記しておきたいと思います。これから制度を利用しようか考えている人の、何かの参考になれば幸いです。
奨学制度を利用する学生の末路は、4通りあります。
人それぞれに理由があるのは承知しています。が、新聞奨学生をやるなら最後までやって下さいと言っておきたいです。
私が新聞奨学生をやっていた2年目の秋頃に、或る後輩が突然実家に帰ってしまいました。お陰で私は新しい人が入って来るまでの概ね半年間、2人分の配達業務をする羽目になりました。学校を辞めるのは自分が損をするだけですが、奨学制度を辞められると販売店の全員の負担が増えます。件の後輩には、私は現在でも腹を立てています。目の前に現れたら殴ってしまいそうです。
途中で逃げ出すと、多くの人から恨まれることになります。最後まで続けられるか自信が無くて、他の手段でお金を調達出来る心当たりのある人は、この制度に申し込まない方が賢明です。特別なものを要求される制度ではありませんが、人並みの努力が出来るくらいの才能は、最低限必要だと思います(勿論、これは何もしなくても多くの人が有している才能です)。
私が奨学制度を利用して学校へ通おうと思った理由は、一人暮らしがどんなものか経験してみたかったからです。学費の方はしっかり親に払ってもらっています。この点は、多くの奨学生の方達と異なるかもしれません。一人暮らしするにしても、親の仕送りに頼って生活をするのは忍びなかったので、軽い気持ちで中日奨学会に申し込みました。
奨学会に申し込んで採用が決まると、どの販売店に配属されるかの通知が郵送で届きます。そこからは、基本的に自分と販売店とで調整をして、いつ頃から仕事に入れるかを決めることになります。これは、自分が入居予定の部屋を前任の人がいつ空けるか、入学までに仕事に慣れる余裕があるかといった事情が絡むので、人それぞれであると思います。私の場合は、3月の中旬くらいでした。
大まかに流れを説明すると、以下の様になります。
新聞配達の仕事は、私は集金無しのコースで申し込みましたので、朝刊と夕刊の業務がありました。カブではなく、自転車を用いて配達するスタイルでした。業務にかかる時間は、コース毎の条件や曜日の違い、個人差等もあり一概には言えません。私の場合は、最初の頃は朝刊業務に3時間くらい要していましたが、半年もすると随分と時間を短縮出来るようになりました。
新聞配達の業務で辛い事は幾つかありますが、恐らく経験者の方が全員「辛い」と言うような事についてまとめてみます。
新聞広告が多い日と云うのが、幾つかあります。新聞紙の中に織り込まれる広告に対して、実際に配達すべき新聞を「本紙」などと呼ぶのですが、週末になると広告の方が本紙より厚いなんてことがザラにありました。
広告が多いと、配達用の自転車の前篭にストックしておける新聞も減ってしまいますし、脇に抱えて配る時も重くて辛いです。
悪天候は、とにかく辛いですね。
雨の場合は、濡れてしまう可能性のあるお宅に対しては、新聞紙をビニルで包むんですが、これに結構時間を要します。また、このビニルが良く滑るのですよね。
2002年頃から、私の居た販売店ではビニルで新聞を包んでくれる機械が導入され、少し楽になりました。それでも冬場の雨などは手が冷えますし、辛いものです。
雪は雨にも増して最悪です。路面が凍結すると、自転車が滑って進まないのですよね。
余談ですが、東海豪雨の時は、良く配達が出来たと自分でも思います。下に水着を履いて頑張りました。
台風というのは、雨や雪とは完全に別格ですね。
販売店に新聞が届く事自体が遅れますし、とにかく逃げ出したくても他に配達してくれる人は居ませんから、配るしかないのです。雨が無くて強風だけなら、割と気分も高揚して来て面白いのですけどね。
「新聞配達と選挙と、何の関係があるの?」と思われる方も居るでしょう。私も最初は、総選挙が決まった時に店長が嫌な顔をした意味が良く分かりませんでした。
要するに、読者に鮮度の高い情報を伝える為にギリギリまで紙面の編集が入り、店に新聞が到着するのが極端に遅いんですね、選挙の投票日翌日などは。新聞の頁数などは、普段よりも薄っぺらいくらいなんですけど、準備して出発する頃には配達時間が残ってないので精神的にキツイものがありましたね。
新聞販売店にとって、年間を通して最大のイベントは正月でしょう。
どの銘柄の新聞紙も、新年祝賀ムードで泣きたいくらいに頁数が多いんですよね。
それに加えて、入る広告の量も半端ではないので、笑ってしまうくらいに大変なことになります。
12月の最終週くらいから広告が減ってきて(この期間は普段よりも配達が楽なくらいです)、夕刊業務時間の大半は正月の準備に充てられます。とにかく一大イベントです。正月は特別手当がもらえるので、頑張りましょうとしか言えませんね。
朝起きるのが辛くはないのかと良く言われるのですが、慣れてしまえば早朝に起きる事も普通の感覚になります。飲み会の翌日などは辛かったですが、それは自己責任ですから仕方ありませんね。
給与については中日奨学会の待遇の項を参照してもらった方が早いと思います。書かれている事に概ね誤りはありません。
もらえる給与額から、月に幾らかが食費として天引きされて、残った分が手取り額となります。ただ、私が居た販売店は少々事情が異なりまして、食事が出なかったんですよね。当然天引きも無くて、さらに食費の補助と称して、少しですが多めにもらえました。
夏・冬に特別手当ももらえます。1年目は2〜3万円程度ですが、4年目には6万円もらえます。学生の身分で6万円もらえると、それはもう夢が広がります。
私は集金業務を経験していない(と言いますか、所属していた店では奨学生に集金をさせない方針でした)ので悩みは皆無だったんですが、集金業務のある奨学生と集金業務の無い奨学生は別物だと思います。私の行っていた学校にも、同じ中日奨学会で販売店が別という人が、「集金ありコース」でやっていましたが、肉体的よりも精神的に辛そうでしたね。その人は1年で学校を辞めてしまいました。
奨学制度では、販売店の近くで部屋を提供してもらえる訳ですが、良い部屋に当たるか悪い部屋に当たるか、これはもう本当に運次第だと思います。
参考までに、私の使わせてもらえた部屋について包み隠さず書いておきます。
とにかくボロかったので、販売店の同僚でも不満を言っている人は居ましたが、私としては割と満足していました。特に電気代の心配が要らないのは良かったと思います。
部屋が運次第と書いたのは、他の販売店で奨学生をやっている人の部屋に遊びに行ったり話を聞いたりして、様々な待遇があることを知ったからです。
どんな部屋を与えられるにしろ、周囲の人への配慮は忘れないようにしたいものです。
月に4つ、有休休暇的なものがもらえます。ただし、これは配達業務のローテーション(誰がどの区域を担当出来るか)を考慮して、ほとんど自動的に割り振られます。私だったら1年目は毎週火曜日に月4回休みとか、そんな感じに割り振られていました。前もって希望を出しておけば、大抵の場合は休ませてもらえます。
正直な話、広告の多い週末を休めるとかなり楽だと思います。
女の子も居ます。業務で性差別は一切ありません。それが良い事かどうかは、色々な意見があると思いますが。
勿論、住む部屋は男女で建物からして違います。
世の中には、女の子の奨学生を専門的に受け入れる販売店もあるそうです。
会社説明会や面接などは、前もって申し出ておけば欠勤扱いで夕刊業務を休めます。
欠勤した分だけ給料からは引かれる訳ですから、いつまでも就職が決まらないと、もらえるお金が減って苦しいことにはなります。
金は貯まるが使う暇が無い、確かにこれは新聞奨学生の一面ではあると思います。
しかし、やろうと思えば何でも出来ます。私は割とやりたい放題やっていました。
やりたい事をやるコツは、長期的に計画を立てておくことでしょうか。その日その日で見ると、本当に余裕がありませんからね、新聞奨学生って。
公式にはダメだと思います。
でも私は一時期、掛け持ちでカフェで半年ほどバイトをやっていました。夕刊業務が終わってから、閉店時間までキッチンに入っていました。体力的には厳しいですけど。
私の同期の女の子で、3つ4つ掛け持ちしていた子がいました。ちょっと尊敬してしまいますね。
掛け持ちしなくとも、「有休の買い上げ」という裏技を使うと、1日8,000円〜10,000円くらいもらえるそうです。これも私の同期の男の子が店長にお願いして時々やっていました。欠点は、販売店のローテーションに余裕がある時はやりたくても出来ない事ですね。
何だかんだ言って、私は新聞奨学制度を利用していた4年間を概ね“良い思い出”として捉えているので、少し好意的な意見が多くなってしまったかもしれません。
結局のところ、言われている程に最悪な環境ではないが、公式情報の様に良い事だらけではないといったところでしょう。楽ではないのは確かです。私だって「明日からまた新聞配達をやれ」と言われたら「勘弁して下さい」が正直な気持ちですから。でも、やっている当時はそれが日常であり、大きな不満も無かったんですよね。人間の適応力って凄いと思います。
人間関係に拠るところも大きいのかもしれませんね。最後まで仲が悪かった人も居ましたが、お互いに険悪な雰囲気を業務には持ち込まない様にしていましたし。仲が良かった人達は、今でも良き友人ですし、とても感謝しています。仲間が居たから楽しく過ごせた4年間であったと思います。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。